シネリーブル梅田で「ジャスミンの花開く/茉莉花開」を見てきました。
「ああ、アレ。ツイィーのプロモーションビデオなんだってね」と何人かに言われたけど、うーん…これでツイィーの宣伝効果があるか、女性客の共感を呼び彼女の格が上がるかというと、大いに疑問。

じゃあちょっと、あんまりツイィーの資質だの女優としての好感度には触れないで、映画を観てみようかな、と天邪鬼がうごめき出す。
むしろ、中華系女性映画ってことで、興味がありました。
ちょっと思い出すだけでも、
チョウ・ユンファ周潤發&コラ・ミャオ繆騫人の「傾城の恋」(84)、マギー・チャン張曼玉がブラザーコンプレックス娘からしっとりとしたオトナの女まで、ユンファがタイプの異なる2役を演じた「ストーリーローズ 恋を追いかけて」(86)、
故・久世光彦さんが「ヒロインが向田邦子さんに似ていてハッとした」と評した、ブリジット・リン林青霞&マギー・チョン張曼玉の「レッドダスト」(90)、nancixの両親の故郷・大分県でロケが行われマギーが自転車で田園風景をかっ飛ばした「客途秋恨」(90)、
やはりオールド上海が舞台の「赤い薔薇、白い薔薇/紅[王久]瑰白[王久]瑰」(94)、福岡アジアフォーカス映画祭で見たきりの「べにおしろい(紅粉)」(94)、ミシェール・リーやマギー・チョンの存在感で、スケールがドンと増した「宋家の三姉妹」(98)などなど。
そういえば、未だ日本公開の話を聞かないスタンリー・クワン關錦鵬監督の「
長恨歌」(05)は、どうなったんだろう。中華系女性映画研究志望者(いるのか?)は、絶対見ておくべき佳作なんだけど。
強引に総括すると、総じて中華の女たちは日本女性よりよほど強いけど、香港映画の女たちは「オットコマエ」、中国映画の女たちは「しぶとい!」って感じがしますねえ。
さて、今回の「ジャスミンの花開く」。
原作はおなじみの女性作家・張愛玲ではなく、スー・トン蘇童という男性作家の「婦女生活」という小説だそうです。
「
オンライン現代中国作家辞典」によると、トニー・レオンより1歳下の1963年生まれ。40代。
あらま。「べにおしろい」と、あのチャン・イーモウ張藝謀監督の「紅夢/大紅灯篭高高掛」(91)の原作者だわ。こりゃちょっと、ペーソスきつそう。「べにおしろい」は、せっかく身重の妻にせっせと料理を作ってくれる夫に、妻がガンガン文句つけるシーンに辟易したもんなあ。
監督は、張藝謀と北京電影学院撮影科の同級生だったというホウ・ヨン侯咏。下放後に遅まきながら北京電影学院に進学した張藝謀だから、ホウ・ヨンの方がかなり年下か。と推理して調べたら、やはり1960年西安生まれの40代でした。すでに中国国内の撮影賞を何度も受賞し、北京電影学院撮影科の同期では最も手がけた作品の多い、定評ある撮影監督です。91年に映画監督デビューを果たし、今作が2作目。

40男が考え出し、40男が脚色・演出する女性映画。
どうなんだ。お手並み拝見といきましょう。
「長恨歌」のレビューでは
で、お話は「時代に翻弄された、非常に男運の悪い上海美女」
というものでした。
おしまい。
と書いたnancixですが、 「ジャスミンの花開く」も、
お話は「時代に翻弄された、非常に男運の悪い上海美女3代」
というものでした。
おしまい。
と書こうと思えば書ける。
でもむしろ、今回強く印象に残ったのは、
(どーーーして
母親ってのは、娘に対して呪いをかけちゃうもんなんだろうなあ!)と嘆息したい気分でした。
これは中国に限ったことじゃない。
昔読んだ精神分析の本に、母性というのは豊穣の地母神デメテルのごとく、慈しみ癒しを与える包容力と、逆に子供を束縛し徹底的に支配し思いのままに制御しようとし、独立を妨げ抗うと殺してしまいかねない面の二面性があるものだ、という説(ユング心理学のグレートマザー論?)を見つけたときは、いやもう全くその通り!と拍手したくなったものです。
母性本能、なんて簡単に言うけど、案外怖いんだよ。母性って。
雑誌「AERA」がもう特集のネタにしてきたかもしれないけど、nancixの周囲にも、母親がかけた呪いがとけずに悩んでいる女性が、たんといる。両親の目の前で投身自殺しちゃった人も……(涙)。
つまり、思春期を迎えた娘に"悪いムシ"がついて、"キズモノ"になっちゃーいかんと口を酸っぱくして説教し、男女交際を禁じ、
それでも自然に好きになったボーイフレンドには何かとケチをつけ、生活環境や経済格差を言い立て、ラブ×2モードの浮き立った心に冷や水をぶっかけ、
適齢期前と真っ最中には「そんなことではいい嫁になれない、いい妻になれない、いい母親になれない、結婚生活とは我慢の連続なのだから、今からこれしきのことを我慢できないでどうする」など呪文のような小言を並べ、
そんなに結婚・妊娠・出産ってメンドくさくて我慢しなきゃ耐えられない、不幸なものなのか!と娘をうんざりさせるってことです。
じゃあ、結婚しなきゃラクちんじゃん、面倒じゃなくなるじゃん、と安易に発想しのほほんと暮らしていると、「うちの娘が婚期に遅れる」とあせってあれこれ画策する。
どーせモテないんだし、面倒だから任せてみるか、と釣り書を書いてみると、何だコレ? 「ワタシ」って、学歴と親の職業と兄弟の数でしか量ってもらえないモノなの?と愕然とする。
「趣味・読書と映画鑑賞」って、めちゃくちゃ平凡じゃん!
読書といっても、愛読書が男性側は「嫌韓流」と「ゴー宣言」シリーズで、女性側が「韓ドラのノヴェライズ」だったらどーするのさ?
そのいいかげんな釣り書きで量ってあてがわれた男は、nancixの場合、ろくすっぽ異性と口が利けないような、見合いに母親と叔母さんが付き添ってくるようなヒトでした……。
母よ、貴女はあまりにも娘を知らなすぎた。
天国に向かって今更言っても、しょうがないけどね。
3世代にわたる、上海美女の「茉」「莉」「花」にも、母の呪いがかけられる。

第一章、祖母と紹介されるモー茉は、父を亡くして母一人、娘一人で流行らない写真館を営んでいる。
1930年代、いよいよ日本軍が侵攻してこようかという時に、のんびり写真を撮影する余裕のある上海市民は、まずいない。
夢見る18歳の乙女のモーはそれでも、憧れの映画スター・カオ・ジャンフェイ高占菲を見るために、映画館へ向かう。母親(ジョアン・チェン陳冲)は「映画は今日で最後にしてちょうだい、(不景気のために)使用人を解雇したから、明日からはあなたが店番よ」といいつける。

店番第1日目、訪れたのは「カサブランカ」のハンフリー・ボガードかいっ!と突っ込みたくなるようなダンディぶりを見せる、映画会社社長の孟(チャン・ウェン姜文)だった。彼はモーを見初め、強引に映画女優として育てていく。反対する母だが、モーはすっかり舞い上がって耳をかさない。
孟社長はモーの第一回出演作の撮影のために高級ホテルの一室を与える。ベッドの上には絹の刺繍入り寝衣と、ジャスミンの香水……ホントに中年男の気配りって(苦笑)。
その手を何人の女優に使ってきたのぉ?と突っ込みたいところだが、モーは全く気が付かない。おそらく彼女は、不在の父親像を孟社長に求めたのだ。強く、逞しく、頼りになり、決して自分を見放さない理想の父親像。
監督も姜文と現場でディスカッションし、孟社長がじっとモーを見つめるシーンを「父が娘を見守るような表情で」と決めたという。
しかし当然ながら孟社長とモーは男女関係を結び、社長の愛人としてモーは華々しく誕生日パーティーを開いてもらえ、マイクの前で愛らしく「茉莉花」を歌い、さらに女優のステップを駆け上がろうと…ろうと……したその時、彼女を襲うのは悪阻なのだった……。
嗚呼、「母の呪い」、ここに具現化。
ま、日本でもそうですけど、堕胎するしかない…と孟社長は判断する。
だけどモーは18歳。
とにかく怖い。そりゃそーでしょ、まだ麻酔技術も進歩していない時代、自分の体内をかき回され、掻き出されるのに平気なティーンズがいましょうか。
だからって……だからってホテル内に引きこもって、どうする?
依怙地になればなるほど、幸せは逃げていくのに。
孟社長も寄せ付けず、母にも救いを求められずにいるうちに、彼女は日本軍に占領された上海に取り残される。
よくまあ、誰にも乱暴狼藉を働かれずに、実家に帰れたもの。
母は身重の娘をなじるばかり。写真館の1階を葬儀屋に貸し、母は美容師のワンという愛人を得て"女"に戻っていたのだから、そりゃ娘に戻られても困るだけだ。
そればかりか、出産を成し遂げて一児の母となった娘に、愛人の王は目を奪われてしまうではないか。
「一人目の子供を産んだ女性こそ、最も美しい時期」と「御宿かわせみ」で平岩弓枝さんも書かれておりましたしね。
何度香港に手紙を出しても、孟社長の返事はなく、母の嫉妬と恐れを知りながら、育児にも投げやりなモーは、王の誘惑に身を任せようとする。
泣く娘の声にも耳をかさず。愛撫のせいか、母乳が染み出たのか、チーパオ旗袍の両胸が濡れているのが、何ともエロチックです。
母が帰って来て逆上するのも、彼女には解っていたことだったのか?
愛人は出て行き、どっと老け込んだ母は錯乱して「形見の金時計を取られた、指輪も取られた。あなた取り返しに行って来てよ」と悲しくモーに訴えかける。
そして…。
モーは取り返しのつかない悲劇が起こったことを、警官に知らされる。
美容師・ワンの職場に乗り込み、欧米人顧客のひざに娘を載せて、ワンを平手打ちして金時計だけでも取り返すモーは、確かに強い。
娘を抱き上げ、昂然と顔を上げて街路を行く姿も、確かに雄々しい。
でもなあ、その強さを、別の方向に向けていれば……。
間違った方向に、自分の芯の強さを向けてばっかりの、母と娘であります。
第2章は、そのモーに抱かれていた、額に幸運の赤あざがある娘・リー莉の思春期から始まる。
結局、モー(またもやジョアン・チェン)は母から受け継いだ写真館を手放さず、名称だけ変えて雇い人に営業させているらしい。
リーは経済的には何不自由なく育つ。折りしも国内戦が終結し、共産主義国家となった新中国では「労働者こそ国の花、共産党員こそ真のエリート」ともてはやされていた時代。
学校の花形は、労働者階級の家に生まれ育ち、バスケット部キャプテンとして活躍し、共産党員になれた青年・ジェ鄒傑だ。
「セブン・ソード」の村の牧童、韓志邦役で初めて認識したルー・イー陸毅君、まさに体育会系ハンサム・ガイで適役だね。上海戯劇学院卒だそうで、上海語にも問題ないのか。
いつも女生徒に取り囲まれている鄒傑のそばに、リーは半ば強引に割り込んで行き、彼の目を奪う……。
そんな真似するから、女友達の一人もできないんじゃないの、リー…?
初恋に有頂天になったリーに、またもや母の呪いがかけられる。めげずに自宅に彼を招くが、母はハンサムな彼を「高くん」と呼び、昔の映画俳優、高占菲に似ていると誉め言葉のつもりか口走り、額に汗して工場で働き、生産に寄与することこそ国家への崇高な義務だと信じてやまない鄒傑に「映画俳優なんて、社会の寄生虫だ!」と逆襲されてしまう。
「寄生虫になるにも、才覚がいるのよ」とやんわり反論する母。あああ、噛み合わない…。
気まずく出て行く傑、母と口論するリー。物心ついてからずっと母に「おまえを産んでさえいなければ、私は映画スターになれて幸せになれたはず」と愚痴られていただろう彼女は、ついに家を出ることを決意する。頼るのは、同じ鉄鋼工場で働く鄒傑しかいない。傑の姉の家に身を寄せるのは「他人の家だから気詰まりだわ」と嫌がるけど、あのう、鄒家だってまだ他人の家…、暗に正式結婚を催促するリー、やはり打算的にしか見えませんが、これは許容範囲か…?

鄒傑の実家で、隣近所の人々を招いて結婚披露をする2人。もちろん、リーの母は姿を現さない。
新婚初夜を、実家の一室で過ごした二人。……シーツに残った血痕が、ナマナマしいです…やはり40男の演出って…。どうもロストバージンはリーにとっては辛い体験だったらしく、傑の母親はすすり泣きまで聞いてしまっている。プライバシーゼロ…。
屋外に共同トイレしかない鄒傑家のこと、夜には寝室におまるを置く習慣も、リーには耐えられない。やがて彼女は一家の食卓で食事ができなくなり、姑の提案もすげなく断り、姑や小姑からの聞こえよがしの批判にさらされて、家族のなかで完全に孤立する。
依怙地になればなるほど、幸せは逃げていくのに。
「お義母さん、その紅焼肉の作り方を教えてください、私、料理の才能ないんですけど、一生懸命覚えます」と頭の一つも下げてりゃ、表面上は何とか収まりがつくのに。
と思ってしまうのは、なあなあでナントカしようとする日本人だからでしょうか?
実家に戻ったリー。傷心の娘を優しく包み込むどころか、さらに呪いを強化する母。それでもリーは夫を待ちわびる。雨の夜、ついに鄒傑は実家を出て来て、リーと一緒に暮らし始める。なんて優しい男なんだ!
ところが今度は、リーは実の母と夫の関係を疑い始め、不妊症を気に病んで、幻覚まで見始める。
夫は「二人だけで暮らしたい、引っ越したい」というリーの訴えに、最初は取り合わない。
要するに、彼女は心のどこかで、母に完全に受け入れてもらえなかった、愛情を存分に注いでもらえなかった、いつかは母に見捨てられるという不安を抱えて、これまで生きてきたのだ。母が祖母の愛人を奪いかけた、その結果が…ということも、どこかで耳に入れてしまっていたのかもしれない。だから、やっと手に入れたはずの夫の愛情も、安心するどころかいつかは他に奪われるという恐怖にかられてしまう。
現代ならアダルトチルドレン、境界性人格障害と診断されるだろうか。
リーの自殺未遂にショックを受け、傑は養子をもらうことを提案する。
だーかーらーー、そこで養女ではなく、男の子を養子にしていればあああ!
当時の中国では、女児のほうが手放す人が多かったのかもしれないし、女は女同士のほうがと傑が安易に考えたのかもしれないが…。
折りしも、中国は文化大革命に突入。因習、道徳観念、伝統、文化、全て古いモノを打ち壊し、新しいモノを受け入れよう、新しければ何でもよいと社会が狂奔していた時代。
となると、夫も「女房とナントカは、新しいほうがいい」と考えるだろうとリーは脅えたのだろうか?
老いた母ではなく、今度はまだあどけない小学生の養女、花が彼女の仮想敵となってしまう。
妻の執念深い疑い、「党に訴えてやる!」と口走った憎しみの言葉が現実になることへの恐れ…。子供が親を、妻が夫を密告して破滅させていた時代に、リーの妄執が吐き出した言葉は、清廉潔白な党員として生きようとした夫を絶望させるのに、充分だったのか。
傑は命を絶ち、リーも後を追ったことが暗示される。
写真館に取り残されたのは、祖母のモーと、幼いファ花…。
第3章は、80年代の物語。中学だか高校だかを卒業後、辺境の農場に下放されていた花と、同い年の恋人のトー小杜(やっと出て来た! リウ・イエ劉[火華]くーーーん♪)が上海に戻ってくるシーンから始まる。
メガネっ娘の花はすでに、24歳。写真館は婚礼写真を請け負い、大いに繁盛している様子だ。さすがに義理の祖母のモーも老い込み、うつらうつらと昼寝をしていることも多くなった。
花は小杜を自宅に招き、食事を祖母と共にさせるが、祖母はまたしても小杜を「高くん」と呼び、「花はあなたの姉代わりなんでしょ」と決め付け、彼は結婚するにはふさわしくない男だと義理の孫娘に告げる。
……どこまで、「母の呪い」をかけるんでしょ。
花はすでに小杜との結婚証明書も取得していたのだが、「結婚は条件のいい男としないと、一生をムダにする」と口やかましい祖母には打ち明けられずにいる。小杜は蘭州の大学に入学し、二人は別居結婚だ。花は働きながら、夜なべでセーターを編む内職もして、小杜の学費や生活費をせっせと仕送りしているらしい。
祖母が手配した、米国在住の男との縁談を断り、花はついに、小杜と結婚していることを祖母に打ち明ける。
言いつけを守らなかったばかりか、ずっと隠されていたことに、ショックを受ける祖母。
そりゃ、あの娘に育てられた養女ですもの…覚悟しておかなきゃあ。
しかし、当の小杜は「僕は大学の専攻を間違えた、就職も思わしくない」と愚痴り、日本留学を決めてしまう。
そりゃねえ、大学には"山口百恵に似たかわい子ちゃん"だっているでしょうよ。あなたは三浦友和の誠実さ、愛する彼女を守る包容力に欠けていますけど? 日本に行けば、ツイィーよりもっとセクシーだったり純情だったりする女の子にも会えるでしょうよ。それにしたって…。
花は短い小杜との逢瀬で妊娠したのに、小杜は日本からの手紙で離婚を申し入れて来る。その手紙をついつい盗み読みした祖母は「だからあんな男はダメだと言ったのに!」と怒りを花にぶつけ、発作を起こして倒れてしまう。
花にはどうしようもなく、堕胎のために産婦人科に行くが…。
すでに「一人っ子政策」が普及しているらしい時代の産婦人科の壁には「バースコントロールをしないわけにはいかない」というスローガンが書かれています。イラスト入りポスターが張られた待合室も、30年代よりもずっと明るいムード。
花が家に戻ると、祖母はいつもの寝台で、眠るように息を引き取っていた…。
側には、大切にしていた唯一の映画雑誌。表紙には、若き日の祖母が微笑んでいる。その思い出の品を、寿命を悟ったのか、祖母は自ら焼いたらしい…。
「話したいことがあったのに!」と号泣する花。
日本の少女なら♪あなた ワタシの最後のお願い聞いてね〜 涙を拭く木綿のハンカチーフをください〜と泣き寝入りするけど、上海娘はそうはいかないぞ〜怖いぞ〜。
リウ・イエ君、よくまあこの役を引き受けた…。
絶望の果てに、彼女は決めたのだ。祖母と同じく、たった一人で子供を産み、育てる覚悟をしたのだ。
室内に可愛い赤ちゃんの写真を貼りつけ、出産講座でも受けたのかラマーズ呼吸法の練習をして、大きなおなかでベッドに横たわり、せっせと体操する花。
けなげです。……まあ、「ツイィーたん」ファンの日本男性が喜ぶかというと、大いに疑問ですが。
自宅前でタクシーを呼んで乗り込み、大手産婦人科病院までの時間を計ったり、準備万端。
の、はずだったのだが……。
まったく、40男に任せていると、クライマックスにはこういうことを持ってくるのね…?
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