「
ファンなんて、いないと思ってる」
と、ファンクラブに入るほど支持してきた俳優さんが女性誌インタビューに答えているのを見たときは、辛かったなぁ…。
いやもう何年も何年も前の話。日本の俳優さんのこと。
正確にはその後、こう続くんだけど。「ファンがどう思うか、意識してしまったら、俳優として演技の幅を持てなくなる。たとえば、ファンがショックを受ける、モラルについて悪影響を与えるかもしれないと意識したら、悪役や犯罪者の役ができない。そうなったら、役者としての幅が狭まってしまうから、僕はあえてファンの存在を意識しないようにしているんです。僕はアイドルではなくて、あくまで俳優なんです」。
ファンクラブ会員には、一人ひとりの誕生日に自筆サインと「○○さんへ」と名前入りでカードを贈ってくれるような、律儀な俳優さんだったんだけどね。
いないと思ってるようなファンに、コンサートに来てほしい、レコード(CDじゃなく(^_^;))買ってほしい、サイン会に来てほしいって望むのはどうなのよ?と引っかかりながらも、せっせとお小遣いを費やして応援したものです。
彼が出演した舞台劇を見るために思い切って上京もしたし、映画ロケ地見学もした。出演映画公開初日に並び、その映画の監督さんと話もできた。彼の出たドラマ原作本もせっせと読んだし、向田邦子さんや倉本聰さん、山田太一さんのシナリオ集も探して読んだ。
演劇や映画、ドラマ作りのいろんな知識を、彼を通じて得られて、単なる"本の虫"でしかなかった自分の世界が大きく広がったから、ファンクラブが随分昔に解散してもなお、深くふかく感謝してますよ。
…現在の本人にお会いしたいとは思わないけど…お会いしても自分の得たものをうまく伝えられなくて「…ああ、そうですか…」で軽くいなされてしまうと解ってるしね。
さて、余談はここまでにして、
トニー・レオン。
公式サイト設立のニュースには、感慨深いものがありました。
「今までなかったのが不思議なくらい」と言われても当然。nancixもトニーを好きになった頃は、彼の公式ファンクラブが無いのをけげんに思っていた。当時の映画芸能雑誌「銀色世界」には、スターへのファンレター宛先リストが毎号のように載っていたのだけど、トニーはすでに映画界にどしどし進出していたにも関わらず、ずっとずっと、TVB(無線電視)宛てでした。
いつしか、その宛先リストからトニーの宛先がなくなり、あきらめた頃に、彼は突然、歌手として大々的に(再)デビューした。
勇んで「飮茶倶楽部」を通じて取り寄せたCDアルバムには「梁朝偉國際歌迷倶楽部(トニー・レオン国際ファンクラブ)」の申し込み用紙が同封され、宛先はそのレコード会社(台湾)の香港支社となってました。
応募しようかどうしようか、会費の海外送金方法はどーしたらいいのよと随分悩んだけど、広東語の先生が「国際たって、それは海外在住の華僑のファン対象だから。日本人が応募したって、あんまりメリットないよー」と助言してくれたので、見送りました。
聞くところによると、会員になった日本人もいたんだけど、年に1、2回「会報」が送られてきただけで自然消滅したそうで…。
やがて中国語記事が読めるようになり、夢中でトニーのインタビューを読み漁ったけど、何となく、彼もまた「ファンなんて、いないと」思おうとしているタイプなのかなあ、という気がしたのです。
もちろん、歌手活動中は、香港・台湾では握手会やサイン会が盛大に開かれ、律儀なまでにファンに接するトニーの姿を新聞記事や雑誌記事でかいま見られたけど。
香港にトニーファンの友人がいる、という香港映画ファン仲間に「トニーの追っかけをすると、彼は必ずファンに、『今日は君、学校は? 仕事は?』って聞くんだって。サボったなんて答えると不機嫌になる。学校の祝日で休みだとか、公休日だ、代休だって言わないとダメなのよね」と聞かされたこともある。
…まあ、そりゃー10代から働いてママと妹を養って来たトニーなら、やれる時に勉強したり、稼いだりしなきゃダメじゃないか、僕のために君の一生を棒に振らないでよ、という気持ちがあって当然かなあ、と何となく思った。
TVBテレビアイドル時代のトニーのことも知るにつれ、当時の香港では珍しかった"ティーンズアイドル"のハシリだったトニーが、周囲から「理想のカップル」「おしどりカップル」扱いされていたマギー・ツァン曾華倩との別離や新たな恋の芽生えによって、それまで熱狂的に彼を応援していたファンが一気に背を向けた、ある日トニーがテレビ局から外に出たら、それまで出待ち入り待ちをしていた顔見知りのファンが誰一人としていなくなっていた、という苦い経験を経たことも知った。
ファンの移り気をあまりにも早々に知ってしまったら、固定的なファンクラブを設けようという気にならないかもね…と密かに納得したんである。
映画界に活動の場を移したトニーは、長らくどこのマネージメントプロダクションにも所属していなかった。個人事務所も設けなかった。
どんなに辣腕だろうとマネージャーという存在に管理されるのが嫌、出演作品は自分で選びたいという理由もあったんだろう。香港に取材に行った日本の雑誌ライターが「トニー・レオンにだけは連絡が取れなくて、インタビューできなかったよ。現地コーディネーターが、トニーの過去の出演映画の映画会社に掛け合ってくれたんだけど、こっちの連絡先だけ聞いて、トニーがその気になったら連絡するだろう、って返事しかもらえなかった」と苦笑していたこともある。
帰国寸前にやっとトニーに連絡がつき、会ってみたら実に親切だった、ワインをご馳走してくれたと感激の記事を書いていた女性ライターもいたなあ(^_^;)。
そんなわけで、トニーの公式ファンクラブは今までなかった。
80年代〜90年代前半のトニーは、3年後には引退する、30歳になったら、33歳になったら、35歳になったら俳優業を辞めるんだと言い続けていたしね。
ファンも「また言ってるよー。おいそれと辞められるわけないのにね」と苦笑いしながらも、ゴシップとパパラッチに苦しめられながらの昼夜問わない映画撮影・彼の苦手な宣伝に、いつまであのトニーが耐えられるだろうか、引退声明されても納得するしかないなあ…と密かに覚悟を決めていたんである。

nancixは「
サウンド・オブ・カラー 地下鉄の恋/地下鐵」(03)を観に行った時以来、香港人女性トニーファンらとも知り合ったけど、彼女らの解説によると、トニーはファンからお金を徴収するのを絶対によしとしないらしい。そんなお金があったら両親にプレゼントするとか学費に充てるとかステップアップのため自分磨きの資金にしてほしいらしい。
だから会費制ファンクラブの運営はしたくないのか。90年代にも、日本の成田空港で見送りに来たファンらのカフェテラスでの支払いを、自分から彼女らのレシート取って引き受けた、なんて逸話もあったし。
(それに、何となーく、何となーくnancixの受けた印象だけど、TVB時代から絶えず外部から比較対象にされてきた、多芸多才なアンディ・ラウ劉徳華兄貴と同じようなことはしたくない…内向的な自分には向いてない…うまくできっこない…というようなこだわりもあるのかも…。アンディが早くから公式ファンクラブ「華仔天地」を結成し専属スタッフを置き会報を出しファンイベントを開き、アクセサリーやステーショナリーやグリーティングカードといったオフィシャルグッズを販売し、会員のボランティア活動を奨励し、経済的に恵まれない会員に奨学金まで出しているのは、香港台湾では有名な話である。それはそれで、若くて一途なファンが追っかけに熱中し過ぎて道を踏み外さないよう、人生の見本を指し示し啓蒙するには必要な配慮だった)。
トニーが王家衛と彼が率いる映画会社ジェットトーン澤東電影制作公司と本格的に組み、辣腕女性プロデューサーでマネージャーのジャッキー・パン彭綺華さんら、スタッフを信頼してマネージメントを任せるようになったのは「花様年華」以後のこと、と記憶している。当初は「ウチは映画製作会社で、タレントのマネージメントは業務外だから」とややそっけなかった澤東電影制作公司も、映画界不振のためCM制作やブランドイメージキャラクター業務を請け負うようになり、ついに2005年にはアーチストマネージメントオフィス「Project House」を設けて、トニーを看板アーティストとして香港、台湾、上海に支社を設置、タレントマネージメント業務に乗り出す。
看板アーティストというより、もはやトニーは同社のスタッフにとって専務か常務クラスの扱いらしいし。
次々と国際的な大作出演が決まるし、本人の言葉よりも周囲の推測や邪推が先行または一人歩きするケースがみられるようになった。ファンも心を痛め、トニー自身の考えや本音を知りたいと切望するしで、公式サイトのオープンはまさにグッドタイミングと言えるのではないだろうか。
一方、トニー個人のパソコン歴は「ブエノスアイレス」撮影中の96年頃に遡る。
レスリーの腹痛について症状を聞き出し、インターネットで検索して疑わしい病名を突き止め、その病気に詳しい医師の連絡先を探し出したというのは有名なエピソードである。
多分若いスタッフに「パソコン持ってるの? ちょっと検索してよぉ」と頼んだだけではない、自分でやったんだと…思われる。
残念ながら「花様年華」プロモーションで世界中を駆け回っている間に、アカウント更新の手続きをする暇もなく、頼める友人もいなくて、いったんはメールアドレスを無くしたりしたらしいが(^_^;)
ま、時間的余裕ができればネットサーフィンしたくなるのが、ネチズンのサガ。
トニーには97年後半に、米国在住の一華人女子大生Sandyさんが無料サーバー上に作った個人サイトとして出発した老舗の
英語ファンサイト(フォーラムにユーザー登録をしているのは現在、1084人)と、数人の男女ファンを中心とした共同運営である会
員制中国語ファンサイト(会員数はもはや不明)の2大ファンサイトがあり、それぞれに活発なファン交流が行われている。
トニー本人と思われる書き込みが、最初に出現したのは英語ファンサイト内の「ゲストブック」で、時は1999年5月25日のことだった。その日は当初独りで頑張ってサイトを運営していた管理人、Sandyさんの誕生日だったのだ。
「u are so nice thanks」(uはYouの略。君はいい人だね、ありがとう)だけだったけど。
そして、2003年のレスリー・チョン張國榮の死という、大いなる衝撃と世界中のレスリーファンの慟哭を目の当たりにするという経験を経た後、トニーは信頼のおける有能な香港人女性ファングループの支持を得て、少しずつ変わり始める。
「2046」完成・世界を駆け巡ってのプロモーションという一仕事を果たした後の、2004年後半か2005年。中国滞在中、トニーは仕事の合い間に、中国語サイトのメインスタッフと対面している。米国在住の英語ファンサイト創立者Sandyさんとも、2005年4月末に、香港のファンを介して連絡を取り、その日にニューヨークに駆けつけられた米国内のファンらと併せて、グループ・ミーティング方式で対面している。
「Interviewing, touring, and meeting people are all hard work.=インタビューもプロモーションも大勢の人々に会うのも、自分にとっては辛い仕事だ」と年下の女性ファンに愚痴ったトニーだが、ネットを通じてトニーを支持してきたファンとの、少数限定での対面と会話は、いささか俳優業にくたびれてきた彼にとって快い経験だったようだ。彼女らはキャーキャー騒いだり悶絶したり泣き出したりせず、あくまで平静に話し合えたようだから。
そして、彼本人と思われる人物が両サイトのフォーラム形式の掲示板にひょいと書き込みを始めたのが、確かその2005年のことである。
韓国の
老舗会員制サイトにもほぼ同時期に彼の書き込みがあったらしい(が、ハングルが読めないし日本人はとかく敵視されやすいので、nancixは会員登録していない)。あくまで伝聞ですが。
そりゃもうファンには驚天動地であり、会員登録すると使用できる、フォーラム付属の個人メールボックスはたちまち満杯になり管理人さんが急いで使っちゃダメ声明を出し、
半信半疑のファンは、本人か?それとも騙りか?本人に限りなく近しい存在のアシスタントとかスタッフが、トニーの意志を汲んで指示を得て、代わりに書き込みしているのか?と論議したものである。
>>長くなったけど、続きを読む