2008年04月01日

「張國榮音楽之旅展覧」とエドワード・ヤン

 MTR尖沙咀駅の構内、C出口近くで、健康茶&スープのドリンクスタンドを発見。街中の涼茶舗ではない、若者向けロハスな内装の、ドリンクスタンド「健康工房(同治堂)」である。2005年にはコカコーラ・ボトラーズに買収されたか、共同出資の契約結んだかしたみたいですね。機内で読んだ「地球の歩き方 香港・マカオ」で記事を読んで、確か尖沙咀駅構内にあったはずと、当てにしていたのだ。
 
 ここで、しわがれ声で喉を指差して「唔該! 我而家有喉龍痛〜! 邉杯茶ロ係好好呀?」と訳の解らない広東語を叫ぶ。おねーさんがちょっと迷って「ロ甘、ロ尼杯茶(じゃあ、このお茶)」と選んでくれた、三何とかというお茶を異議無く受け入れ、紙コップで少しぬるい漢方ブレンド茶を飲みながら、文化中心へのE出口へと進む。
 うううぅ、苦い…苦甘いけど、冷たくはないし、少しでも喉が楽になるならと、頑張ってほとんど飲み干した。あ、出口を抜ける前に設置されていたゴミボックス(金属製)に、ちゃんと紙コップは捨てましたわん。

 E出口からカウルーン・ホテル九龍酒店とペニンシュラホテル半島酒店の間の中間道を抜け、YMCA脇から地下道に下りて、文化中心に到着した時は、もう雨がしとしと降り出していた。いつもの大ホールではなく、「行政大楼 展覧館」棟へ。エレベーターホールに、中年以上のおねーさまおば様方が集結していた。会話からして、韓国人、日本人、中国人…?

 目的のフロアに到着して驚いた。「[聲留。情動]張國榮音楽之旅展覧」、ファンによる無料展示だからと侮れない。百貨店での美術展並みの規模だわ、こりゃ。かつて日本の百貨店で「テレサ・テン記念展」を鑑賞したことを連想した。
会場入口01

会場入口02
 レスリーの生い立ちを総括的に紹介し、音楽界に於ける軌跡、映画界に於ける業績を紹介し、貴重なプライベート写真や初回プレス盤レコード、アルバムジャケット、ポスター、関連アイテムなどを展示してあって、うわーこれもあれも現存してたんだ!とオドロキ。
 中には、信和中心地下の中古レコード店(今はもう無い)で以前見かけたけどあまりに高価で手が出なかったものも混じっていて、懐かしく鑑賞した。

 何よりの発見は、悪戦苦闘の新人時代から抜け出そうとしていたレスリーのアルバム「風繼續吹」(83)のデザインコンセプターを、まだ映画界で活躍し始める前ぐらいのウィリアム・チョン張叔平おじ様が手がけていたのを知ったこと。
 真っ白なマフラーを巻き、少し挑むようなまなざしをまっすぐ向けているレスリーのアルバムジャケットである。復刻CDは買っていないので、かつて東京の友人宅に泊まった時に、現物アルバムを見せてもらって以来の再会だ…。
 このあたりから、レスリーは都会的な洗練されたムードを漂わせ、その上で元気一杯で躍動感あふれ、まぶしいほどにはじけるポップスターに、劇的に変身していくのであったことよ…。
 ウィリアム叔父さん、またしてもあなたへの敬愛が深まりましたよぉ……。

 それにしても、場内は撮影自由なのかよ!
 展示物レスリーと記念写真撮るおねーさんたち、君は君たちは一体…。
展示会場で撮影
 一応、スタッフが見守っているのだが、展示物の全体が回っているのに気づかず、枠にうっかり手を突きかけて「それは触っちゃ危ないですよ!」と心配して注意されただけで(すみません…<(_ _)>)、写真撮影している人にはおとがめ無しだった。いやもう日本ではありえません…。

 最後のほうでは、自分も持っている日本語発行物や写真集、東京国際フォーラムなどでのコンサートツアーポスターなどがまとめて展示されていた。日本人ファンの提供なのか。
 観れば観るほど、本当にほんとうに、レスリーはこんなに日本とゆかりの深い人物だったのに…と胸が詰まった。

 場内での撮影はともかく、この展示物一切がっさい、日本の百貨店や近代美術館に持ってきて日本語解説つけて公開しやがれーーー!
 何年経っても色褪せることのない、レスリーのスーパー・エンターティナーぶり、東アジアに多大な影響を与えたその存在の凄さを、日本でもっともっとアピールしてくれーい!(ただし再現ドラマ化禁止)と、誰に訴えかけたらいいかわからないまま、強くつよく思ったのであった。

 出入り口近くには長机が設けられ、小児ガン患者のための募金箱と、小冊子と、クリス・バビダ鮑比達のアルバム「I Remember」のチラシが置いてあった。クリス・バビダといえば、「つきせぬ思い〜新不了情」(93)や「夜半歌聲 逢いたくて、逢えなくて」(95)、「美少年之戀」(98)のBGM、様々なコンサートの音楽総監督を務めた有名音楽人だ。彼のアルバムなら、どこかで捜してみようと思った。

 長い、ながい間展示に見入っていたのだが、ついにそこを離れて、文化中心の大ホールの方に行ってみた。ある方から、エドワード・ヤン楊徳昌監督の関連展示もあるはずだと聞いていたので。…そうかぁ、開催中の香港国際電影節にちなんでの展示だったのね。

 レスリー展に比べればほんのささやかなもので、展示に見入っているのもインテリというか、映画オタクっぽい青年が数人だけ。貴重な年表、直筆絵コンテ、イッセー・尾形さんのスチール写真、「エドワード・ヤンの恋愛時代/獨立時代」(94)日本パンフレットにも掲載されていたという直筆の達者な自画像イラストなどがあった。「ヤンヤン 夏の思い出」(2000)のフランス版大判ポスターは、53回カンヌ映画祭とおぼしき赤絨毯を、一人歩いていくヤンヤンことジョナサン・チャン張洋洋君の後ろ姿ショットがあしらわれていて、実に印象的だった。
 そして、1946年、第二次世界大戦の翌年生まれのエドワード・ヤン監督が手塚治虫の諸作品の「人文主義に吸引された」=ヒューマニズムに感化された?のは、1956年頃だというから、こちとら全然生まれてません!
 あああ、機会があったら、そして言葉さえできれば、10歳の徳昌君の心にどんなふうに手塚漫画が食い込んでいったのか、どんなことを彼が感じ取っていたのか、聞き出したかった……。

 生身の彼らを目の当たりにしながら、コミュニケーションらしきものさえろくに取れないでいたわが身の卑小さを思い知らされ、打ちのめされながらも、文化中心建物の外に貼られた巨大トニーさんを撮影する。


壁面トニー
 ああ、どんどん暗くなるぅぅ。星光大道でもじゃんじゃん撮影するつもりがぁ。

 傘を差し、一人雨のそぼ降る星光大道を、トボトボと歩く…。
 ところどころに設置されている等身大トニーさんも、霧雨にしっぽり濡れている…。
 星光大道でも、レスリーについての「懷念1827日 星光大道紀念パネル展」があった。没後に日本で開かれた追悼イベントも、ちゃんと紹介されていた。

星光大道花輪01
 レスリーの手形…がまだはめ込まれていない(どーなってんだよ、手形はあるともう何年も前に報じられていなかったか?)敷石には、白い花輪と、中央に「To You」という韓国メーカーの板チョコが置かれていて、韓国ファンの心づくしだろうかと思う。
星光大道花輪02
 そういえばまだHDD/DVDレコーダーに入れてます、ダビでガビガビになったビデオテープから録画した、レスリー出演の韓国チョコCM。誤解なんだか、ケンカの結果なんだか、離れていこうとする彼女を何とかして繋ぎ止めようと、必死に切ない顔して街中を奔る、若いわかいレスリー…。

 レスリー・チョン。エドワード・ヤン。
 道半ばで斃れた、彼らなのか。
 神様が彼らに用意した道が、そこまでであらかじめ断たれていたのか。

 ”神様が、もういいよと言うまで、人は一生懸命生きなくちゃ、生き続けなきゃいけないんだ。”
 自分が14歳で死にたい、もう大人になんかなりたくないと思い詰めていたとき、少女マンガかどこかで覚えてきた言葉。

 霧雨にけぶる対岸の香港島のネオンを見つつ、潮風に容赦なく吹き付けられ、考えかんがえよろよろ歩いていたら、新世界中心まで到着してしまった。

 ええと、紅[碪カ]に向かうには、今度こそKCRに乗りたい…んだけど…。
 KCRの尖沙咀東駅には、ここからどうやって行けばよかったっけ? 地下フロアに降りて警備員さんに聞いてみると、このフロアじゃない、上に行けという。しかも、じゃあ駅に向かう前にトイレにちょっと…と歩いて行くと、わざわざ追っかけてきて「小姐〜! そっちじゃない、上だ上ー! このエスカレーターを上がれ!」と一生懸命教えてくれた。いやあのその、解ってますわかってます、ト、トイレぐらい貸してクダサイ…親切をムダにできず、トイレはあきらめた。

 エスカレーターを上がってみたけど、駅がどこだか解らない。とりあえず外に出て…そうだ、尖沙咀郵便局近くにMTRとKCRを繋ぐ地下道への入り口があったよなあと思いつく。
 歩道橋を渡って、公園のような場所を横切り、郵便局近くでやっと、エレベーターを見つけた。他の観光客らと地下へ。やれやれ、やっとKCR尖沙咀東駅にたどり着けたぞ。すっかり身体が冷えてしまったけど。…コンサート中に咳が連続で出ないといいけどなあ。
posted by nancix at 15:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記
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