さて、今回の東京国際映画祭でぜひにぜひに見たかった、期待の「長恨歌」。何枚かのスチールを見るだけでも、あの香港一のアート・ディレクター、ウィリアム・チョン張叔平の美的感覚全開フルスロットル!という感じで、大いに期待していました。
ちなみにこの作品のポスター、スチールなどの平面デザインは、王家衛組御用達写真家のウィン・シャ夏永康が率いる香港のデザイン会社シャララ・ワークショップ(Shya-la-la workshop)がトータルデザインした模様です。レスリー・チョン張國榮の写真集「慶」装丁や「花様年華」の平面デザインも、彼らの作品でしたね。
ジェットトーンプロダクション澤東製作公司の女ボス、ジャッキー・パン彭綺華さんのお名前もあったし、いないのは王家衛とトニーとマギーだけ??
あ、念のため、製作はあのジャッキー・チェン成龍と、ニコラス・チェー謝霆鋒ら人気歌手を多数擁する楊受成のEEG英皇娯楽集団有限公司が手を結んで作った映画会社「成龍英皇影業有限公司」によるもので、ジェットトーンは関係なしです。
いやはやまったく「題材によっては、ウィリアム・チョンさえ確保すれば、王家衛は不要じゃないの?」というnancixの長年の疑問の、答えがいよいよ出たように思います。
ここぞという時に、寄り添い歩く男女の後ろ姿を、スローモーションで捉えるシーンといい、
往年の女性時代曲歌手・チョウ・シュエン周[方旋]、バイ・クァン白光、呉鶯音、テレサ・テンまでを網羅し、かつ「スリーピーラグーン」「パトリシア」「ファッシネーション」などの洋楽をも取り込み時代を反映させるBGMの入れ方といい、
ムーディーな雰囲気作り、編集感覚、抜群です。
何より、曲線を大胆に組み合わせた建築意匠を背景にした画面の切り取り方、
幾何学模様をモチーフにした室内デザイン、
女性の旗袍のモダーンなデザイン、
たまりません。
特に、サミーが男たちに胡軍の行方を尋問されるシーンで着ていた、黒サテンに白百合の刺繍を施した旗袍が素敵でした。あと20kg痩せてて手足が10cm長ければ、絶対パーティー用に着たい!(どんなパーティーに出られるというのか)
「花様年華」「2046」と同じ、小説の一節を、黒ベタ画面に白抜きで綴るテクニックも、もはや一つの様式として定着しそうな予感です。
そして、ガタイの立派な、スーツの肩幅の広さがたまらなくセクシーで包容力を感じさせる胡軍と、サミーのお床シーン。
「あなたの眉の形」「好きか?」「私の好みじゃない」…睦言が続きます。
女優の乳房を完全に隠して熱く口づけするためとはいえ、胡軍はすんごい無理な姿勢をさせられていて(うっ、この構図、見たことありすぎ!)と直感しました。
「欲望の翼」のレスリー&マギーによる、気だるい○○後のシーンですよね。
さすがに、タクシー後部座席で首を傾け寄り添う二人、の、「ブエノスアイレス」「花様年華」と同じ場面はありませんでしたが。
胡軍、スーツ姿もおさすがの凛々しさでしたが、毛糸で編んだカーディガンを、あれほどだらしなくならずに色っぽく着こなせる中年男性を、生まれて初めて見たように思います。
……あれ? でも落魄して逃げも隠れもしている身なんだから、色っぽく着こなすのではなく、よれよれに見せるべきだったのか…?
問題は、しかしこのスタンリー・クァンとウィリアム叔父さんの、卓越した美意識にこそ潜んでいる。
スタンリー・クァンもウィリアム叔父さんも、どうしても登場人物をファッション・モデルのようにor一幅の絵画の小道具扱いに、してしまいがちなんですよね。
生きた人間ではなく、造り込んだ空間に佇む、一種のお人形さん。フィギュア。
で、お話は「時代に翻弄された、非常に男運の悪い上海美女」
というものでした。
おしまい。
いや、だから、おしまいではなーい!
「報われぬ愛に生きた、写真男」
でもあります。
いや……愛に生きたわけでもないな…ちゃんと結婚し円満な小市民生活を営んだ時期もあったしな…。
王家衛が静かななかにも緊迫感もしくはユーモアをはらんだ、複雑な感情が交錯する男と女の駆け引きを「花様年華」で描いたのに比べ、
「長恨歌」ではヒロインが時代の荒波に押し流されながらも、その時々に何を考え、何を選び取ったのか、が明確に伝わって来ない。
印象に残ったのは、唇を半開きにしてあらぬ方向を見やる、ヒロインの虚ろな表情のアップだけ。
これがレオン・カーファイ梁家輝の写真屋という傍観者の視点から描いたから、まだヒロインの置かれた状況や立場が何とか伝わったけど、ヒロインの行動の描写だけだと、サッパリ観客には彼女の心理が解らなかったかも。
母子家庭に育った純情&控えめな女学生が、一途な愛の力で、眼光鋭い男にピストルを脇腹に突きつけられても動じない、肝の据わった情婦に激変したのか、
訳がわからずに、ただ本能的に危機を察知して固まっていただけなのか、
それが、何だか伝わってきませんでした。
マギー・チョンなら、視線のかすかな動き、指先の仕草、顎の上げ方一つで、それを自然に伝えてくれたのに。
同じように時代に翻弄され、愛を貫くには障害が多すぎ、受動的な立場にならざるを得なかった「レッド・ダスト/[さんずいに哀]×2紅塵」のブリジット・リン林青霞扮する女性作家は、美貌ではなく自分の文才を頼みにできただけ、まだ凛としていられたのかなあ。
そうそう、「レッド・ダスト」でイム・ホー厳浩監督が全力を挙げて演出したであろう、大群衆の波の中で引き離されて行く男女、の映画的ダイナミックさも、室内撮影中心の「長恨歌」にはありませぬ。
文化大革命中、紅衛兵が押し入ってご無体な振る舞いをするシーンよりも、モブシーンが有った方が映画的カタルシスがあったんでは…?(無理か)
ヒロインの抑えにおさえた感情の堰がたった一言のためについに切れ、全身で身もだえしながら獣のように号泣するシーンも、そこまで感情が次第に高ぶる様子が描写されないため、あまりに唐突に見えました。
「それはイヤ、それだけは絶対にイヤ!」というボディランゲージが、レオン・カーファイの申し出の何を嫌がり、何に無言の抗議をしたいのかが…。
サミー・チェン鄭秀文という女性は、今でこそファッショナブルで勝ち気で洗練された雰囲気を持つ歌手にして、女の可愛さをも併せ持つコメディエンヌに成長したけど、もともとは地味な顔立ちで、化粧一つでいくらでもイメージの変わる人です。
「横濱別恋」というしっとりとした初期ヒット曲のイメージMVを見たときは、何だか地味…日本の演歌歌手みたい…という印象だったのに、アーロン・クォック郭富城らと真っ赤な服で飛び跳ねて「マールボロ」タバコのCMソングを歌ったときは、別人のようにのびのび、ハツラツとした香港小姐だったから、驚いたもんです。
コンサート宣伝の大看板で、片方の眉だけぐりりと前衛的な曲線を描いて強調したのも、挑戦的でユニークで個性たっぷりだった。あの頃から宝塚歌劇の男役のように、女性ファンが増えたんだよねえ?
ただ、女優・サミーには、フェイスはあっても、李香蘭、原節子、グレタ・ガルボ、ブリジット・リン林青霞、アニタ・ムイ梅艶芳のような強烈な「ルック」がまだない。
化粧と衣装ひとつで何色にも染まるけど、ということは、監督がよほど明確なヒロインのイメージを構築し、彼女にヒロインの個性を充分に理解してもらって、味付けしないと、生き生きとした、"確かにその時代、そこに存在した"と観客が思える女性像が生まれないのです。
今回の「長恨歌」では、サミーはまだ、鶏肉でとった上湯(しゃんたん)に見えました。
監督には、塩胡椒を効かせ、香辛料をたっぷりと使い、料理としてのコクや旨味を出してほしかったです。
彼女のためにも、残念……。
ダニエル・ンー呉彦祖、ホンットに「エロス」のチャン・チェン張震に激似の伊達男でした。
……上海の中小企業のお坊ちゃんが、あんなに色気を振りまいていていいのかーっ。
自転車2人乗りよりも、毛皮のコートにシミ隠しのサングラスのオバサマと、メルセデス・ベンツの後部座席でゆったりと座っている方がお似合いー!
ダニエルとチャン・チェンで、魔都上海を舞台にした義兄弟ものか実の兄弟の愛憎劇を、誰か企画してくださーーーい! コミック「龍-RON-」の村上もとかが原作書いてほしーい!(勝手に言ってる)
レオン・カーファイ梁家輝、「ロアン・リンユイ」で撮影所にしゃがみこんでるときも思ったけど、「絵空事」のメロドラマ世界に、生活感を加味するのが実に達者な男優です。
「月夜の願い 新難兄難弟」のときは特殊メイクで老人に扮していたけど、もう白髪頭と猫背だけで、充分に老け役を演じられる年齢に達したのね…。
サミーではなく彼の人生を描写することに比重を置きすぎて…という批評も何かで読んだけど、いや報われない愛を大切に抱え込んで生きた彼がいてこそ、観客は感情移入しやすくなるのではないかな。
生身の女体&老いていくヒロインよりも、印画紙に焼き付けた架空のヒロインの美しさこそを愛し、執着し続けた彼の姿は、ある意味、映画監督という存在のカリカチュアなのかも…。
何だかんだと思ったけど、もちろんもう一度見たい映画です。
久しぶりに「レッド・ダスト」も見て比較対照したくなったけど、あれ? ビデオかVCD持ってたっけな…(汗)


