うううーーーーむ。
途中からでも、この劇=Asian Beat Fiction「何日君再来(イツノヒカキミカエル)」のトンデモなさは、よく理解できましたよ。
全編に、テレサ・テンの日本語曲がちりばめられている。
筧利夫、大々熱演。
さすがは元劇団☆新感線、元第三舞台出身者。
「グリーン・デスティニー」「HERO-英雄」プロデューサーのビル・コン江志強とリー・チーガイ李志毅監督が「昴-スバル-」でヒロインとして起用するという、黒木メイサが、かつての"陰を宿した美少女"から、エディソン・チャン陳冠希と共演した「同じ月を見ている」(05)や、つかこうへい劇団の舞台劇「熱海殺人事件・平壌から来た女刑事」出演を経て、かなり成長していることも、うかがえた。
……昔は「エコエコアザラク」のヒロイン、黒井ミサ役でデビューしたのかと大誤解してたんですが。(面目ない……)
それはともかく。
在日韓国人女性歌手が、在日であることを隠して日本人名でデビューし直し、トップテンを争う大歌手に成長しているというサブエピソードも、実在のあの人この人を彷彿とさせてくれた。
トップテン番組プロデューサーが、「ただ歌が上手いだけじゃダメなんだよ! 台湾人歌手だっていうんなら、にぎやかしにジャッキー・チェンとチャイナドレスの女にバックで踊らせろ!」なんて怒鳴るのも、台湾も中国も香港も味噌も○も一緒くたにし、いまだに香港では女がチャイナドレスでしゃなりしゃなり歩いている、中国人の男はみんなカンフーができると思い込んでる日本人の無知をネタにしていて、大いに笑わせてくれた。
……笑っていいんですよね?
台湾マフィアのボスが、いかにもな刀傷を顔に付け、チーパオを着込み、まるきりジミー・ウォン王羽映画のイメージから脱却していないのも、ジョニー・トー監督映画の描き出すマフィア像に比べて、今さら…と笑うしかなかった。
それもともかく。
こ、これは困る……と唸らされたのは、タイトルにもなっている「何日君再来」という曲が、本来は酒場の女が、男を送り出す時に別れを惜しむ歌なんだ、恋の歌なんだと堂々と台詞で言いのけられたことなんである。
……そういう説が流布され、この曲が「兵士を色仕掛けで骨抜きにしようとするエロな歌曲」である「黄色歌曲」だと断じられて、中国大陸では放送禁止歌扱いになったというのに。
そうじゃないんだ、音楽専科学校の男子学生らが、別れゆく友へ送るために作った餞別の曲なんだと、中薗英助さんのノンフィクション「何日君再来物語」でも明らかになったし、NHKハイビジョン特集の番組「世紀を刻んだ歌 何日君再来-アジアの歌姫が紡いだ愛の歌」でもかつて紹介してたじゃないか。
中薗さんがご存命なら、どれだけ立腹なさったことか。
そしてまた、en-Rayが演じる「テレサ」像は、まるで劇団四季の「ミュージカル李香蘭」の李香蘭のごとく、2つの中国に翻弄され時代の荒波に流される一方の、か弱き乙女、哀れな犠牲者でしかなかった。
だからさー、そうじゃないでしょ…?
テレサ・テンも李香蘭も、国と国の関係にあえぎ、自我の確立に苦しみながらも、人一倍自己主張が激しく、わが道を行こうとあがいた女性じゃないか。
あっちから引っ張られ、こっちから拉致され、泣き顔をしてばかりの歌姫じゃなかった。毅然と生きようとしていた。
アーチストとして偉業を達成しながら、さらに自らの使命を突き詰めて考え、使命を果たそうと懸命だった、女性だ。
それだけは、たとえ「この芝居のテレサは、テレサ・テン[登B]麗君その人じゃありませんよー」といかに言い訳されようとも、見失ってはならないと思う。
企画制作側のサイトの「企画意図」では
そしてこの物語はフィクションであるからこそ、当時のアジアの真実、アジアから見た日本、そして人間が生きるために歌や芸術がどれだけ大事なものであるのかを、あぶり出していけるのだと考える。
というのだけど、肝腎なものを誤認したフィクションを作って、どこに真実があるというのだろうか。
ま、別にキリキリ目くじらを立てたわけではなく、笑いながらトホホとぼやきながら、それなりに面白く観てたんだけど、
日生劇場という立派なステージでこのトンデモ舞台劇を見た若い観客が、勘違いをしたまま成長したりしませんように。
フィクションと事実を混同しませんように。
心から祈るしかない。