2007年08月18日

撮影監督ロドリゴ・プリエト談話

 いよいよ台湾で「色、戒」公式サイトが登場ですね!

 記念に、このblogでも右サイドにバナー貼り付けちゃったりなんか、しました。

 米国も、まもなくFocus Featuresが公式サイト設置発表、かな?

 日本は?

 期待が増す、今日この頃。

 お宝の「INK印刻文學生活誌」から、今回は撮影監督、ロドリゴ・プリエトのインタビュー記事を訳してみます。
 日本でもアン・リー監督のインタビューはいろいろ読めそうですが、撮影監督の談話はちょっと珍しい。
 撮影技術に関する話になると、いつも以上に翻訳の精度に自信ないんですが…。
 ロドリゴ・プリエトは1963年メキシコシティー生まれ。トニーより1歳下なだけですね…。
 

 「色、戒」の風韻
 撮影監督プリエトを訪れて


 上海の[金壽]秦氏によるインタビュー。文章整理はLenaさん。

 ロドリゴ・プリエトの名前は多くの中国映画ファンにとって、聞き慣れない名前だろう。しかし彼が撮影を担当した作品は、みなさんもよくご存知だ。「ポワゾン」「8Mile」「21グラム」「アレキサンダー」「ブロークバック・マウンテン」「バベル」、どれも名高い作品だ。この1965年生まれのメキシコの撮影監督はもう完全にハリウッドに溶け込んでいて、撮影の実力を公認されている。今回、アン・リーは「色、戒」の撮影監督に彼を招請し、またオールド上海の歳月を、彼に初めて中国にやって来て撮影する機会を与えた。我々は彼に独占インタビューし、彼自身の映画遍歴と「色、戒」の物語について話を聞いた。

ロドリゴ・プリエト01

 どんな理由から、あなたは「色・戒」の撮影という重圧を引き受けたいと願ったのですか?

 まずアン・リーが理由です。僕は「バベル」の後、6、7ヶ月かかる多忙な仕事から抜け出して、少し休息しようと思いました。なぜなら「バベル」の撮影の仕事はとても複雑で、多くの国を行き来しての撮影は、確かにとても疲れるものでしたから。そこで僕は映画が完成した後、帰宅してCM撮影をしていました。その時、僕は何冊かの映画シナリオを読んでいました。しかしそれらの撮影を引き受けようという、具体的な考えはなかったのです。当時、アン・リーは僕に電話をくれましたが、具体的に何を撮るべきなのか解らなかった。ただしアン・リーとは以前に「ブロークバック・マウンテン」で一緒に仕事をしました。彼はとても特殊な監督で、僕は彼の映画監督としての才能を非常に敬服しています。ですから彼が、僕にこの映画を撮らなくてはならないと話した時に、僕はシナリオを読んでもいないのに「やりましょう」と答えたんです。
 後になって、彼は僕にこの短編小説を送ってくれました。僕は非常にこの物語が好きです。これはとても独特で、とても興味深い。それに僕について言えば、ただ中国での映画撮影ということだけでも、とても興味を惹かれたのです。

 あなたには「色、戒」の物語が理解できましたか?

 これは、ある人の自分探しに関する物語です。ヒロインは当初、演技として、一人のスパイとなり、自分を別の人間に装います。しかし最後には自分自身を見つけるのです。撮影のために、僕らは原作についてある程度研究しました。僕はこの物語の興味深いところは、ヒロインが最初は自分が何を見つけるのか考えもせずに、努力して自分を一人の俳優に変えていくところだと思います。あの組織に加入し、彼女はある事を成し遂げようとしますが、思いがけない別の情況になっていくのです。彼女は、自分が真実の自我を見つけ出すとは思いもよらなかった。それがこの物語の興味深いところですね。

 「ブロークバック・マウンテン」を撮影する前、アン・リー李安は入手した1枚の写真を、作品の参考にしたそうです。今回は撮影前に、この映画の撮影について基調を定める何かはありましたか?

 この映画を撮影するにあたって、僕とアン・リーは一緒に映画の撮影スタイルやスチールの風格について討論しました。「ブロークバック・マウンテン」と何を変えるべきか? 実際「色、戒」と「ブロークバック・マウンテン」は完全に異なります。全てが新しい経歴となります。「色、戒」の主人公は一人の女性であり、撮影時の照明は「ブロークバック・マウンテン」のように写実的ではありません。我々は光線によってさらに何層もの感覚を作り出し、一種の異なるフィルム・ノワールのスタイルを創造しようと思いました。たとえば濃厚で重い陰影処理を避け、努力して一種の新鮮なフィルム・ノワールスタイルを創り出そうとしたのです。

 「色、戒」と、従来のフィルム・ノワールの、撮影上の違いを具体的に話してみてくれますか?

 たとえば、今回はとても柔和な光線を用いました。僕は撮影の過程でずっと、柔らかい光線のコントロールを試し、同時に光線の出どころと陰のコントラストを示し、光線によって画面の奥行きを表そうとしたのです。光線によってそのフォーカスの所在を示すのです。

 あなたはどのように映画のなかに「オールド上海」の雰囲気を表現しましたか?

 僕らはとても多くの準備をしました。アン・リーは細部に至るまでとても高い要求をする監督だからです。彼は可能な限りどの部分も真に迫っていて、当時の実際の情況に符合するようにしようとしました。どこも一様に、間違いがあってはならないのです。僕らが撮影しようとしている街路は完全に当時の街路と同じ寸法でなければならないし、ビルも家具もそうです。事前の準備と調査の仕事が僕を大いに助けてくれました。それがあってこそ、僕は銀幕の上にかつての上海、香港を出現させることができたのです。僕らは当時の上海に忠実であるように、スタイリッシュ過ぎないように努力しました。撮影スタイルにおいては、上海と香港のパートを区別するようにしました。フィルターを用いて、上海は香港よりも色彩を抑えるようにしたのです。上海は香港ほどカラフルではなく、ただし一種の優雅さがある場所なのです。僕らは力を尽くしてその種のオールド上海の優雅さを伝えようとしました。香港なら単純であるべきです、そこはさらに若々しく活力がある街で、さらに簡単なのです。ですから僕らはライトを使ってそこを照らしました。

 これはあなたが最初に中国人のために撮影する物件ですね。撮影上で何か改変したことがありますか?

 いいえ、特別に変えたものはありません。当然特定の俳優に対しては、彼らのカメラテストをして、異なる顔かたち、体型のためにライトなどを調整します。それらの撮影装置が俳優の情緒を表現するのに有利なように試すような仕事はありますが、本質的には何も変わりません。

 「ポワゾン」「アレキサンダー」にはベッドシーンがありますね。我々も「色、戒」に類似のシーンがあることを知っています。その方面について我々にちょっと話してくれますか?

 僕は最も重要なことは、彼ら(演技者)のために一種の心地よい環境を創り出し、彼らの信頼を得ることだと考えています。僕の意見では、最も重要なのは彼らにリラックスさせ、彼らが撮影技術の点で演技に制約を受ける心配をする必要はないと保証することです。僕は俳優に対して「動くな! 光線がちょうどいい」なんて言ったりできません。光線(照明)を調整して、彼らがどんな演技だってできるようにすべきなのです。撮影現場でレンズを覗く時、僕は彼らの感覚がとても心地いいことを最優先すれば、美しいショットが撮れて、俳優のプライバシー保護と映像美の間で一種の平衡を保てると考えるのです。
 【彼らはみんな僕の敬服する監督】

ロドリゴと李安02

 我々に、あなたの視点によるアン・リーをちょっと見せてください。

 アン・リーが最も人を感動させるのは、彼の精確性とスタッフとの協調性です。無論「ブロークバック・マウンテン」でも「色、戒」でも、彼の細部に至るまでの注意深さは人を驚かせます。彼は、原作通りに物語と役柄を表現することを、とても強調します。僕の意見では、その種の精確性の追求は非常に興味深い個性です。技術面について話せば、彼の知識は非常に底深く、映画撮影についてとても多くの面を諒解しています。ですから僕らの討論は非常に細部に至るまで、非常にテクニカルな面に至るまでのものなのです。それに、彼はストーリーの感情(情緒)面に対しても、とても深い部分まで考察します。ですから、彼はいかに映画の技術を運用すればさらにうまくストーリーを語り、人物を画面に刻み込めるかわかっているといえます。

 あなたの話の意味は、他の監督はアン・リーほど精確ではないということなのですか?

 僕が言いたいのは、アン・リーのように何でも必ず自分でやってしまう監督はなかなかいないということです(笑)。映画に対してどの方面でも聞くべきです。例を挙げて話せば、「アレキサンダー」のオリヴァー・ストーン監督は、仕事のスタイルはさらにリラックスしたものです。彼は驚きと喜びが発生するのを見るのが好きです。彼は僕に特に技術性や、細部の問題を尋ねることはしません。僕は比較的自由に(カメラを)コントロールできます。

ロドリゴとこだわりの李安03
 (黄色い矢印の帽子の人がロドリゴ・プリエト)

 アン・リーは非常に正確性を強調します。彼はカメラのどの動作も知る必要があり、どのレンズの具体的な情況も知る必要があるのです。その他の監督はそれらの事情はカメラマンが自分で処理することに慣れています。

 あなたは「ブロークバック・マウンテン」で一人の同性愛者の役を客演していますね。当時監督はどのように話して、あなたがこの役を演じるよう説得したのですか?)
 (注:ジェイク・ギレンホールが人目を避け、国境を越えてメキシコで買うメキシコ人男娼の役と思われる)

 撮影現場で最初の部分を撮るとき、僕らはまだこれは冗談だと思っていたんです。彼らは俳優兼カメラマンにこの役をやらせたがっていました。最初は僕もこれはジョークだと思いました。しかしこのシーンの最後の数日には、僕はライトの下にいて………実際上、僕はこの役を演じるなんて期待はしていませんでした。アン・リーは僕の前に来て言ったのです。「助けが必要なんだ」。こういう情況のもとで、彼が僕にこの同性愛者の役を演じてほしがっているのだということは明白でした。彼はひそかに別の男優に頼んで(この役の)カメラテストを受けてもらったことがあります。しかしジェイク・ギレンホールがとても緊張するので、僕が彼の替え玉になったのです(笑)。

 あのオリヴァー・ストーン監督ですが、当初はあなた方はどうやって知り合ったのですか? あなたは彼をどんな人だと思いましたか? 監督として彼が優れているところはどこですか?

 僕がロサンゼルスに引っ越して大体1年後に、オリヴァー・ストーンは僕に彼のオフィスで会おうと言ってきたんです。なぜなら彼は僕が撮影を担当した「アモーレス・ペロス」を見て以来、とても好きになったからです。その時の対面はとても愉快なものでした。彼は僕に、いま1本の映画を準備中で、アフリカに行かなければならない、欧州などで撮影を進める、作品名は「アレキサンダー」だと告げました。オリヴァーは僕に一緒にアフリカに行かないかと誘いました。彼はクランクイン前に、シナリオのためにそこで、少し探索と調査の仕事をする計画をしていたからです。そこで僕は彼と同行してアフリカに行き、フィルムを少し使ってアフリカの風貌を撮りました。僕らの友情はここから始まったのです。後になって、僕らは一緒に「アレキサンダー」を撮影し始めました。僕と彼は一緒になって完全なよいシナリオを模索しました。僕は彼と一緒に仕事をするこの機会を得たことを、とても幸運だったと思うし、彼と一緒に「冒険の旅」を体験できたことを、とても楽しめました。僕らはお互いに理解し合えるよき友人になれたのです。オリヴァーは映画撮影に関して自分の直感に頼ります。彼は映画と人物の情緒についてとてもはっきりとつかんでいます。つまり彼は経験豊富で、わからないことは質問するのが好きなのです。彼のその性質が、彼と一緒に映画を撮影することを一種の楽しい趣味とさせるんです。

 あなたはアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ(「バベル」の監督)に対してどのように評価しますか?

 イニャリトゥは僕のとてもよい友達です。僕らは最初、メキシコで一緒に広告(CMフィルムか)を撮影していました。大体1990年代中期のことです。僕らは一緒にとても多くの広告を撮りました。僕らは一緒に、いかにして斬新なものを撮るか探索し、改変と突破を模索しました。あの日々はとても有意義なものでした。彼は非常に天賦の才に恵まれた監督で、たえず新鮮なものを模索していました。彼と一緒に仕事をするのはとても楽しいことでした。あるとき、僕らは一緒にある広告を撮影していて、彼に対して「もしも君が映画を撮影することがあったら、僕が君の撮影カメラマンになりたいよ」と告げたことがあります。彼は「いいよ、問題ない」と言いました。その後、「アモーレス・ペロス」のシナリオがあって、僕らはメキシコで一緒に撮影することになったんです。僕らはずっと親密な友人関係を保っています。僕は僕の敬服する友人と一緒に仕事をするのを、とても嬉しく思っています。

 【撮影は非常に僕を引きつける】

 あなたの父親は米国で成長し、進学し、結婚した後でメキシコに戻りましたね。このような家庭環境はあなたがカメラマンになるのにどんな影響がありましたか?

 影響があったかどうかはよく解りませんが、僕はメキシコで生まれました。母親は米国人で、父親はメキシコ人です。現在、僕の妻子もメキシコに住んでいます。僕の父親は米国で(ハイスクールの)11、12年生を卒業し、少しの間メキシコに戻り、後になって学業を完成させて学位を取得し、また米国に行き、そこで僕の母親と出会ったんです。彼女が米国人なので、父親もまた米国で生活することになりました。ですから僕の多くの親戚や友人は米国人なのです。もしも彼らが僕の職業選択に影響を与えたかと言うなら、僕は父親が技術者で母親がアーティストなので、あるいは撮影なら技術と芸術、両者の結合だと思ったのかもしれない(笑)。

 あなたが子供の頃は恐怖映画が大好きだったそうですね。最も好きな作品は何でしたか?

 僕が最も好きな恐怖映画はロマン・ポランスキー監督の「テナント/恐怖を借りた男」(76、日本では劇場未公開)でした。実は僕は心理サスペンス映画に最も興味があるんです。子供の頃は兄と一緒になって「Famous Monsters in Film Land」という雑誌を収集したものです。僕らはどうやってマッド・サイエンティストがいろいろな怪物を作り出していくかにハマりました。僕もアニメーションが好きです、特に「チェコアニメ」がね。
 (靜格動畫=チェコアニメ=人形アニメやクレイ(粘土)アニメかな?)

 あなたは資訊技術(インフォメーション・テクノロジー?)を学んで、現在は映画カメラマンになりました。いつから映画が好きになったのですか? いつカメラマンになろうと決心したのですか?

 僕が子供の頃は、兄と一緒にショートフィルムを撮るのが好きでした。その時、映画って非常に面白いと気がつきました。しかしそれを飯の種にする気はなく、ただの趣味だったのです。しかしそれは僕をとても夢中にさせました。親戚のなかで誰も映画業界に関係している者はおらず、映画に対する熱愛から僕はこの業界に入ったのです。その時、一人の叔父さんがロサンゼルスに住んでいて、彼を訪問した時に、僕らは一緒にあそこのユニバーサルスタジオを見学できました。当時、メキシコシティーの大学で映画製作を学ぶ機会があると知って、僕はまだ映画撮影と身を立てていくことを一緒にはできなかったのです。僕はただ、遊び続ける機会とみなして進学しただけです(笑)。僕が映画学校に行って願書を出した時、ただ「映画製作」を学習すべきだとわかっていただけで、やりたいのが映画監督なのか撮影なのかはっきりとしていませんでした。映画学校で短編を撮影するとき、つまりはまず照明をいじってどうするかが必要なのだと、その時初めて解ったくらいです。その時僕は気がつきました。それらのものは監督をするより僕を引きつけると(だから趣味が最終的に僕の仕事となり、かつお金をたくさん儲けられることにもなりました)。そうだ! 自分に言い聞かせたんです。仕事となるとタダではできない、生きていかなきゃいけないから(笑)。だから、趣味がお金儲けの仕事と変わったわけで、僕はとても幸運だったと感じています。

 あなたの(手がけた)作品のジャンルはとても豊富です。言い換えると、どのジャンルの映画でも好成績を収めています。どんな秘訣があるのですか?

 僕は異なるジャンルの映画の撮影を通して、自分に挑戦するのが好きなんです。とても幸運なことに、自分が1ジャンルの映画の枠の中に限定されることもありませんでした。メキシコで撮影カメラマンを始めた時は、そこでのレイトショー映画には、とてもいろんなジャンルがあったんです。コメディ、スパイ映画、エロチックな映画、テレビ映画などなど。だから、僕が米国に引っ越した後はビデオでいろんなジャンルの異なったスタイルの映画を撮りましたよ。その後僕らは「フリーダ」(02)を撮りました…「ポワゾン」を撮影した後、それは僕の以前の作品とは完全に異なっていたんです。それは全てが新しい挑戦でした。そこで僕はその後も、全ての映画撮影を受けるときに、異なるジャンルの、異なるスタイルの映画を試すことを考慮するようになったんです。各種の挑戦を受ける方が楽しいですしね。たとえば「色、戒」のように。これは「バベル」と、非常に異なります。だから僕はとても引き付けられたんです。僕は異なる観点、角度で理解することと学ぶことが大好きなんです。映画製作の上でも、多くの異なる撮影方法とスタイルがあります。だから僕は、あらゆる挑戦を渇望するんです。

 ではあなたが最も得意とする、あるいは最も撮るのが好きなスタイルとはどんなものですか?

 僕が最も撮るのが好きなのは、シナリオを読み終わって、僕の心が深く揺り動かされるあの種の映画です。僕は映画のジャンルに優劣はないと考えます。それらには存在する価値がある。僕がシナリオを読む時に、僕はいつも僕を深く感動させる部分を探します。なぜなら1本の映画の撮影に参加には、多くの時間と精力と感情を費やします。もしもストーリーと撮る役柄に情熱を持てなかったら、それは多くの具体的な細部の正確な処理に影響を及ぼします。僕は撮影中にいつも思うのです、これを撮れるだろうか、うまくいくだろうかと。僕は感情の上で僕と遠く離れた映画を撮りたくありません。ですから僕は毎回、自分の霊魂と真心をこめて打ち込んでいるのです。

 偶然かどうかわかりませんが、あなたの大多数の作品は米国以外でロケをしていますね。

 僕の祖国はメキシコです。昨年僕らは「バベル」を撮影し、モロッコ、日本、メキシコなどでロケをしました。その前にはオリヴァー・ストーンの撮影した「アレキサンダー」で、また英国、タイなど多くの地域に行きました。ですから、僕は世界各地の異なる人々と一緒に仕事をする多くの機会があり、各種の異なる文化を理解したのです。それは撮影の仕事で最も僕を引きつける点です。それは僕と世界のこんなに多くの人との繋がりを建立したんです。

 【メキシコ映画人の成功】

 近年、メキシコ映画人はハリウッドで相当よい成績を収めていますね。あなたはこの現象について話していただけますか?

 僕はとても嬉しく思っています。最も誇れるのは、今年の(アカデミー賞内の)各種の映画賞部門でメキシコ映画人がノミネートされたり受賞したりしたことです。僕の知っている友人達も、僕と同年代の人もです。僕は僕らがいつこの業界に入ったのか、いつ広告撮影を始めたのか、最初のテレビドラマや映画が何か覚えていませんが、僕と彼らはほんの数年前にメキシコで知り合ったばかりです。僕らは各自で自分の事業を発展させてきました。しかし僕らはいつも会うこと、顔を合わせることができます。当然大多数はメキシコ以外の場所にいます。僕らの中の多くは移民していますから。それも更に多くの事業上の発展の機会を得るためです。ですから近年のハリウッドで活躍するメキシコ映画人がますます多くなっています。メキシコ映画人が映画に貢献すればするほど、僕は彼らが自分の国家を離れて映画を撮る必要がなくなることを希望するんです。

 ハリウッドの非米国籍の映画人はますます多くなっていますね。あなたはハリウッドに加わるにはどんな素質が必要だと感じていますか?

 僕について言えば、僕はメキシコにいるのもハリウッドにいるのも他のどこの国の映画を撮影するのも、何の違いもないと思っています。僕は自分が、ハリウッドの仕事をするために来たとは考えていません。自分を調整してハリウッドに来ることによって、仕事が来たのです。僕は自分の国で映画撮影を学びました。僕はそこで仕事をするのがとても心地よかったです。僕はずっとメキシコで学んだものを携えて、自分なりの方式によって仕事を得たのです。それはとても有用で、多くの時も僕にとってとても助けになっています。僕が異なる場所で撮影をするとき、異なる国家の人々も、僕がレンズを通して表現したいものをとてもたやすく理解できます。中国は一つの特例です。僕はそこでの仕事にとても居心地のよさを感じました。スタッフとのコミュニケーションがとても順調で、僕が彼らを誤解することもないし、彼らが僕を誤解することもありませんでしたから(笑)。僕には中国語は判りません。しかしOK、僕らは英語で話し合います。

 「バベル」は第79回米国アカデミー賞の多くの部門にノミネートされました(注:6部門7ノミネート、作曲賞のみ受賞)。あなたはこの映画をどう評価しますか?

 僕について言えば、「バベル」は僕に非常に非常に特殊な経歴を与えてくれました。シナリオでとても人を惹きつけ、それは人と人との間の、異なる文化と異なる国家の間のコミュニケーションの困難を正確に捕えています。僕らは東京で撮影していたとき、周囲の人々とコミュニケーションを取るのが難しいことに気づきました。ですから「バベル」の表現している情況は全地球的なもので、同じ事情が人々と人々の間と民族の間で上演されています。異なる国家にいて、異なる民族で、異なる言葉の環境にいて、異なる人々の中で撮影を進行させることは、僕を真に「人」として成長する手助けになってくれました。「バベル」の撮影という経歴は、僕について言えば、もうただの1作の映画あるいは一つの仕事をこなしたという意義を超えて、僕の視野を広くし、胸襟を開き思想を深める機会を与えてくれたんです。

 そんなわけで、ブラピや役所広司や菊地凛子に続いてプリエト氏が、我らがトニー・レオンをどんな風に捉えたのか、
 本当は気の合うお馴染みさんとの仕事が好き♪と言ってはばからないトニーが、プリエト氏とカメラの前であ〜〜んなことやこ〜〜んなことをやらされてどうだったのか、どう感じたのか、本音のところはどうよ?と、
 もう興味しんしんなのでありますよ!

 ……で、「ブロークバック・マウンテン」で、ホントにどんな顔してどんな演技をプリエト氏がやってたか、ムラムラ見たくなりましたが…。

 TSUTAYAカード、まだ更新してなかったっけな…お茶の間のテレビで見るのは家族の手前、危険だな……くくくぅ(-_-;)
posted by nancix at 23:55 | Comment(3) | TrackBack(0) | 「色、戒」特集
この記事へのコメント
nancixさん、こんばんは。先日「傷城」のポラロイドカメラについてコメントしたものです。
今回は「色、戒」の撮影監督ブリエト氏のインタビュー訳、ありがとうございました。実は6月に上海で「看電影」4月号を手に入れました。表紙はINKの表紙とよく似た3人のショットです。中の特集は「INK」ほどのページは割いていないのですが、まずセットや衣裳などの美術関係、次に撮影監督ブリエト氏のインタビュー、最後が李安監督へのインタビューでした。このブリエト氏のインタビュー記事がnancixさんが訳していただいたものと同じ記事です。最新の看電影でも特集が組まれているかと思いますが「INK」の100ページの特集も読んでみたいと思いました。そしてもう一度「断背山」見ます(笑)
Posted by 亜美 at 2007年08月20日 22:57
亜美さん:
 やはり「看電影」と共通の記事でしたか!
 インタビュアーが上海の人らしかったので、あるいはと思っていました。
 この「INK印刻文學生活誌」は、編集委員に侯孝賢、・宏志(悲情城市の製作プロデューサー)、白先勇や朱天心のような台湾映画・文学界の著名人はもちろん、陳凱歌監督作「子供たちの王様」の原作者の阿城や、莫言などの中国の作家や映画人も名を連ねていますから〜。
 香港の「電影双週刊」が休刊した今となっては、やはり収支は苦しくても、こういった文芸雑誌には頑張ってほしいものです。
 ちなみにもちろん亜美さんはチェック済みだと思いますが「INK印刻文學生活誌」の2007年4月号は、張國榮特集ですよ! 
http://www.sudu.cc/front/bin/ptdetail.phtml?Part=MIN044&Category=16956
「死之蒼涼生之繁華」って……切ない……。バックナンバー、入手できるといいですね…。
 
Posted by nancix at 2007年08月21日 00:43
nancixさん、上のコメントでブリエト氏→プリエト氏に訂正です(汗)「INK印刻文學生活誌」2007年4月の張國榮特集号の紹介、ありがとうございます。数少ない文芸誌でレスリーが特集された嬉しさと、4月号ということで一抹の寂しさもあり複雑でした。何とかして手に入れたいと舒讀網で登録したりしたのですが入手困難で、ほとんどnancixさんと同じ状態だったのです。私の場合は発売からかなりたって、香港の方にkubrickに1冊だけ残っていたのを見つけて送っていただきました。だからnancixさんが「色、戒」特集号を入手されたのを知って良かったな〜って、わが事のように思った次第です。INKのバックナンバー、欲しいのがたくさんあるんですがこれこそ入手困難でしょうか。
Posted by 亜美 at 2007年08月21日 23:43
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