で、台湾の文芸雑誌「INK印刻文學生活誌」で、先日亡くなったエドワード・ヤン楊徳昌監督が張愛玲の小説「色、戒」を映画化しようとしていたことを初めて知って、どっひゃーー!と驚いたりしみじみしたりしていたわけですが、
トニー・レオン梁朝偉の台湾系ファンは、とっくの昔にその事実をつかんでいたんですね…。
中華系ファンによる、貴重な中国語資料満載のフォーラム「梁朝偉森林」に、実は映画製作者で映画脚本家で映画評論家で、「さらば、わが愛〜覇王別姫」ほかの中華圏映画の海外配給及びセールスに尽力してきた映画人、シュウ・ケイ舒[王其](女優のスー・チー舒淇に非ず)のブログと、その中の友人・エドワード・ヤン楊徳昌を悼み想い出を語る一文が紹介されていたのです。
nancix、舒[王其]さんのブログがあることすら知りませんでしたよ…。
ダメじゃん…_| ̄|○
そのブログによると「恐怖イ分子」(86)を完成させたばかりの新進気鋭監督時代の楊徳昌は、その才能を高く評価され、舒[王其]の友人の映画プロデューサー(もじゃもじゃ頭のジョン・シャム岑建勲か?)が次作の出資を申し出ていたのでした。
楊徳昌はある企画をそのプロデューサーに提出する。その企画とは、張愛玲の短編小説「色、戒」を改編すること。楊徳昌と舒[王其]は、シナリオを共同執筆することにしていた。それが「暗殺」だったのです。
86年当時、舒[王其]は頻繁に台湾を訪れ、楊の自宅に出入りし、楊が最もお気に入りの軽食店やレストランに連れ立って行っては、新作「暗殺」について語り合っていた。版権問題をクリアーするため、2人は香港に行き、張愛玲作品のエージェントを務めていた宋淇にも掛け合う。舒[王其]の記憶では、その時にすでに、映画化権の手付け金を払ったはず、なんだそう。
楊徳昌の企画では、ヒロインは当時30代だったブリジット・リン林青霞だった。あるとき、ブリジットは香港の自宅に2人の映画青年を招いてディナーをご馳走する。食後は、当日に開かれる予定の「飛竜伝説 オメガクエスト/衛斯理傳奇」(86)レイト・プレミアショーにご招待、の予定だった。サミュエル・ホイ許冠傑、ティ・ロン狄龍、ジョイ・ウォン王祖賢が出演している娯楽SFアドベンチャー映画です。
まだレイト・プレミアショーが始まらないうちに、満腹した彼らは客間のテレビで、英文台(英語チャンネル)を見始める。それは往年のハリウッド名作についてのドキュメンタリー番組であり、往年の女優たちと彼女らが主演した作品が次々と紹介され、彼女らの晩年の生活ぶりも映し出される。舒[王其]と楊徳昌は腕白坊主のように奇声を挙げ、騒々しく「いやあ、あの美人女優やセクシー女優が、こんな白髪のばあさんになっちまうんだなあ!」なんて感慨にふけってしまったらしい……。
あの、もしもし君たち? そこは何を仕事にしている、誰の家?
まもなく、ブリジットは「着替えるわ」とさりげなく中座し、寝室に入っていった。ようやく、現役女優の前で失礼なふるまいをしてしまったと気が付いた2人の映画オタク青年は、舌を出して恐縮した…。
まったくもう、男ってのはー! なんてデリカシーがないのぉぉ!
ま、舒[王其]によると楊徳昌版「色、戒」の「暗殺」が未完成に終わってしまったのは、この一件のせいでは決してなく、シナリオの進行が始終理想通りにいかなかったせいだ、短編小説をいかに長編映画に拡大するか、いい案が浮かばなかったのだということで、彼は(責任を負うべきは自分だ)としておられます。
そしてこの作品のシナリオについて話し合っているときに、楊徳昌は「[牛古]嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」(91)にとりかかり、まもなく「暗殺」はちょっと棚上げ・後回しにされ、そのまんま永遠に幻となったのでした。
楊徳昌にもまさか「クーリンチェ少年殺人事件」が製作に4年もかかり、完全版にして4時間もの大作になってしまうとは、企画当初は予想もしなかったようで…。
今年7月、楊徳昌の訃報を受け取ったとき、舒[王其]がまずしたことは、引き出しの中からかつて受け取った楊徳昌からの手紙を探し出すことでした。
そもそも台湾ニューシネマの旗手と呼ばれた若手監督らが自作を香港で公開するとき、舒[王其]は一面識もなかった彼らと、映画だけをコミュニケーションツールとして午後中熱く語り合い、夕食を共にし、さらにバーに繰り出したのでした。
その2ヶ月ほど後に、彼らのなかで最も無口でノッポだった楊徳昌から、一通の丁寧な礼状が届きます。当時はファックスもEメールも携帯電話のショートメッセージもなかったわけで、遠方の人との通信手段は手紙あるのみだったのです。そして、楊徳昌は"便箋愛好家"の一人でした。
舒[王其]は朋友の手紙、その文字と行間から、剛毅な中に少しも強情さのない個性、彼の創作に対する堅持とintegrity(誠実、正直、高潔、品位)を、そして自分自身に対する厳格な要求を感じ取っていたのでした。
舒[王其]が自分のブログに引用している手紙とは、サンフランシスコから楊徳昌が1987年4月に書き送ったものでした。当時、楊徳昌は健康を害していて気が弱くなっていて、友人たちに対する自分の友情の在りかたを見つめ直し、反省しようと決心したようなのでした。
当時の「[牛古]嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」はほぼストーリーが完成し、クランクインについて出資会社のゴーサインが出るか否かのデッドライン、というところまで来ていました。その年の夏休みにクランクインできないと、張震ら学生のスケジュールが取れず、また翌年の夏休みまで待たなければならなかったのです。
そんななかで、楊徳昌が舒[王其]に書き送ったのは、やはり棚上げ状態になっていた「暗殺」のことでした。
『暗殺』の最大の問題は、男性主人公の役柄の上にある。僕はずっと彼のこの役柄の個性を設定できずにいる。なぜなら彼の政治的背景とシチュエーションは、目前のところ非常にポピュラーではないからだ。原作小説の悪役的色彩は、僕にはずっと原作の最大の弱点のように考えられる。それのドラマ性を高めるためには、確かに男性主人公の周囲をさらに豊かにするべきなんだ…。その上、香港でのあの一段階の部分については、一種の包容力に似た、優しさの中の興奮状態といった張力で包み込むべきなんだ。その上「暗殺」は、香港である種の明確な危険が必ずあるべきだ。ただ商業的価値を高めるためでは決してないんだ。僕はずっと、テーマ上のポピュラリティーについて極度に心配している。
ある二つの事柄を、僕は必ず進行させなくちゃならない。一つは、以前の上海時代の「華聯電影公司」に籍を置いていた老スターを探すことだ。バイ・クァン白光やリー・リーホァ李麗華らをね。当時の上海での偽政府(汪精衛らが樹立した親日政権、南京国民政府のこと)の、あの種の腐敗したムードを理解する望みのほかに、このような一つのエピソードにおいて、男性主人公の正確な位置を探し当てられると思える。彼をポピュラーでない役柄にできるんだ。
もう一つは、僕がある朋友の両親を訪問することだ。彼らは戦時中に上海にいて、母親は永安公司(百貨店経営、不動産投資会社)一族の長女格で、父親は戦後に米国に赴き、米国のイタリア系マフィアと親しく往来していた。最近、長男(僕の朋友の兄貴だ)はシアトルで、麻薬密輸の主謀者として逮捕されたんだ。僕は相当収穫があると思う。
ここまで読んでみると、どうも楊徳昌は"易先生"に、
泣く子も黙るジェスフィールド76号の特務機関の親玉・丁默邨でも、
汪精衛の下で「中華日報」総主筆としてペンの力で蒋介石らと闘った、しかし妻の張愛玲を手酷く裏切った胡蘭成でもなく、
汪精衛こと汪兆銘その人を投影して肉付けしたかったようですね。
香港でのある種の危険というのは、ハノイで起きた曾仲鳴暗殺事件(汪と間違えて側近の曾仲鳴を殺害か)をなぞらえているように思えるし。
一方、アン・リー版はやはり丁默邨を易先生に投影し、ジェスフィールド76号の拷問部屋もあまさず観客に見せ付けるようで……。
蒋介石の手の者なのか無辜の一般市民なのかわかりませんが、同胞を手酷く痛めつけて表情変えない易先生、怖い。
手紙はまだ、このように続きます。
ここに至って、感慨はとても多い。この1年来、東奔西走して、成果効率の低さに非常にフラストレーションが溜まっていた。一方では君の計画の足手まといになってとても後ろめたく思うし、プレッシャーを感じている。また一方では自分の心の中が非常に明白になり、シナリオの発展があの段階までしか来ていないというのは明らかに理想的ではないし、明らかに自分の要求に合わない。……多くの時、何度も、僕は君に向かって僕の心のなかの悩み及びフラストレーションを吐き出そうと思った。でもまた、自分が自分と他の人にただ不平を言い、言い訳したいだけのようで気がとがめ、だから全く言い出せないでいた。いつも、さらにちょっと煮込めば、一つの突破口がきっと開ける気がするんだ。
今日はXYにこの手紙を託して君に送る。また君の707の鍵を、前回君に返すのを忘れたんだ。そのほかのことは、僕らは会ってまた話そう。台湾の目前の変化はとても激烈で、誰にも予想がつかなかった方向へと変わっていってる。僕の以前の予想は正確だったかもしれない――1997年のもっと前に、大陸と台湾の問題は解決するだろうってことだよ。妹の病気は、僕にとても大きな刺激を与えた。本当に多大な影響があったんだ、僕にもわからないほどの。さらにそれは、僕に「日々を過ごす」ことと「映画を撮る」ことの間の関係について思索することを多くしたよ。
707の鍵とは、舒[王其]によると、彼が尖沙咀に借りていたオフィスの鍵らしい。楊徳昌は香港に来るたび、ヒマができると夜遅くにそのオフィスに来て、ビデオテープやLDを鑑賞していたという。舒[王其]が合鍵を楊徳昌に渡していたのだ(いいなぁ…)。
そんなよき映画朋友だったのに、7年前に楊徳昌は突然、舒[王其]との連絡を一切絶ってしまう。後になって舒[王其]が思うに、ちょうどそれは楊徳昌が映画製作上でも行き詰まり、ガン宣告を受けた時期で、それが彼が沈黙を選んだ原因ではないかというのだ…。
でも、調べてみたら2000年頃って、再再婚の奥様との間に、息子が生まれたりもしているのよね。
男の友情って、いったい……。
親しい分だけ、弱みを見せられなかったのか。
舒[王其]の性格あるいは境遇を思い、楊徳昌が遠慮したのか…。
映画界の全ての人と、一律に接触したくないような失望と葛藤があったのか…。
「友がみな 我より偉く見ゆる日よ 花を買い来て 妻とたしなむ」と石川啄木が詠んだような、心境だったのか…。
舒[王其]のブログでの、楊徳昌についての回想は、1988年に遡って終わります。
香港国際電影節で「成瀬巳喜男回顧展」が開かれ、二人は一気に10数本もの成瀬作品を見たというのです。
毎回、映画館から出るたびに、彼らは顔を見合わせ、心から納得してこう言わずにはいられなかったといいます。「またmasterpiece(傑作)の1作だったよな!」
きっとそのなかには、王家衛もトニーも見たという「浮雲」もあって、楊徳昌は高峰秀子と森雅之の面影を、「色、戒」にも当てはめてみたりしてたかも……。
うん、楊徳昌版の「色、戒」=「暗殺」にも思いを馳せながら、でもやっぱりアン・リー版「色、戒」を見終わって映画館を出て、nancixはうっとりと溜め息をつきたいのです。
「またmasterpiece(傑作)の1作だったわ!」と……。
http://www.haf.org.hk/haf/chi/pdf/project05/project9.pdf
ホント、どうなったんだか…ですね。やはり資金集めの問題で実現しなかったのか、アン・リーの方がいち早く版権を押さえたのか…?
こちらはハノイでの曾仲鳴襲撃から話が始まるのですね。監督によって切り口も変わりそうで興味しんしんですが、とにかくロケ場所を探す苦労と、役者の力量ですよねえ……。