「試写会で見て、あとは香港版(中国版)DVD見ればいいんだもーん」では、いつまでたっても中華圏映画は日本で市民権を得られないのよ…。
今夜は神戸・三宮シネフェニックスの最終回。ここは自由席なので、ギリギリに飛び込んでも大丈夫さっ。
併映は「女帝(エンペラー)/夜宴」。……ははは、これこそ香港版DVD取り寄せたんで、映画館鑑賞してないや…。
で、「傷ついた男たち」の観客、10人……_| ̄|○。
ここで初めて、アンドリュー・ラウ監督最新作の「消えた天使」予告編を見られた。
「インファナル・アフェアシリーズの鬼才、アンドリュー・ラウ」
………鬼才、ですか。そうですか。大辞林では「人間とは思われぬほどのすぐれた才能。また、その才能をもつ人」という意味だけど、何となく、正統派じゃないってことかなぁ〜って気が。
リチャード・ギアの老いが余すところなく映し出されているような…気がかり。変質者展覧会っていう気もする。小説だとどんな血生臭い、凄惨な場面でも「ふーーん」で済むnancixですが、映像はなぁ…。
さて、今夜はウイスキーで泣き上戸になるのを避けて、缶のカクテルパートナーエキゾチック・ナイトとカスクートが映画鑑賞のお供ですよ! 飲みにくくなんかないけど美味いです、阿頭!
今回はヘイこと阿頭と、ポンこと阿邦の心の交流がしみじみと心に残る。介護生活(やはり警察は休職ですか)に没頭する阿頭に、ファーストフードだけど食事を持参し、黙って横にいてくれる阿邦の男らしい、不器用な優しさ。
ラスト、二人が飲んでいるのが白ワイン(発泡してたっけ…シャンパン?)であって、チャウ周元勝のビクトリアピーク太平山頂の豪邸のワインセラーにあった高級そうな赤ワインではないことに、今更ながら気づいた。
香港の映画館で見た時は、完全に「あの場所がチャウ周元勝の豪邸で、遺産相続人がいなくなって阿頭の遺言でか阿邦が受け継いで、二人が阿頭夫妻の葬儀を終えて(もちろん阿頭の犯した罪には堅く口を閉ざして)、豪邸のバルコニーでワインで乾杯しているのか!」と驚いたんだけど、全然背後の風景がビクトリアピークから見下ろす風景と違ってましたね。誤解してすまない、阿邦&フォン細鳳。
やっぱり体格差はあれども、金城武の起用は正解だったんじゃないかなあ。レオン・ライがあんなに切ない、優しい、無垢な瞳でトニーを見るとは思えないし…。この作品での金城クンに、ご主人様の指令を待ちわびて足元にまとわりつく、じゃれかかったらご主人様を押し倒してしまいかねないほど大きめのムクムクとしたワンちゃんをどうしても思い浮かべてしまうnancixを、どうか許してくだされ。
その阿邦に向かって、平然と笑顔を向けて嘘をつく、阿頭の業の深さよ…。
ええ、テルちゃんこと暉峻創三先生、キネマ旬報7月下旬号読みましたけど、やはりnancixはあえて異を唱えますわ。「恋する惑星」と「インファナル・アフェア」を足して凌駕するなんてこと、少なくともずっと若い世代のアラン・マック麥兆輝とフェリックス・チョン荘文強はてんで考えてない。いいかげん香港映画史では傍流に過ぎない、香港人があんまり映画館で見てない=客入りが悪くて打ち切りの多かった王家衛作品の呪縛から、香港人を解放して観点を変えてみようよ。メインストリームはいつでも、大衆(特に若者)をワクワクさせ、広く支持されたアンドリュー・ラウの娯楽作のほうだったんだから。
「何が犯人をそのような行為に至らしめたのか」に関心を集中させるだけではなく「真相を追及し全容を相手にぶつけることによって、兄弟以上に堅く結びついた二人の男の関係にどんな化学反応が生じるか」が本作のサスペンスのかなめなのだ。
いや、真相をぶつけるのかぶつけないのか、いつどんな形でぶつけるのか、それによって二人は対決の時を迎えるのか、裏切られた思いに苦しむのか、告発するのか、捕まえるのか捕まえられるのか…いっそ殺し合うのか…?
観客は早い時点で犯人を悟ってから、それをハラハラしながら痛ましい思いで見守ることになるのだ。それが香港版のキャッチコピー「知心對手 終極対決」の意味だったのだ。
「彼らの抱える傷が、台詞でしか説明されていない」ことはない。日本の2時間サスペンスドラマに比べればよほど最小限に台詞を絞り、トニー、金城クン、シュー・ジンレイのまなざし、表情、仕草でより多くを表現しているじゃないか。恋人の遺体を目の当たりにすること、目の前で家族が惨殺されるのを子供の時に見ること、深く愛した夫が理由はともかく、自分の父と自分を殺そうとしたのだと直感することの、どこが「およそ凡庸に映る」のだ? 机上の空論ではないのか? 陰惨な犯罪はちまたで幾らでも発生しているのだ。その被害者の声なき叫びを「傷の内実そのものもおよそ凡庸に映る」と言えるのか? 秀逸なトリックとそのトリックを破るためにだけ、わざわざバラバラ死体を幾つもでっち上げる本格推理小説作家じゃあるまいし。
スー・チー演じたサンミゲルビールのキャンペーンガールは、「天使の涙」のカレン・モク莫文蔚とは全く異なる存在だ。大体「天使の涙」の登場人物はみんな自分の殻に閉じこもり、目の前にいる他人に自分の激しい思い込みを押し付けることしかしない身勝手な、かつコミュニケーション能力が欠如・あるいは歪んだ連中なのだ。カレン・モクは自分の愛したイメージ上の男を、行きずりのレオン・ライに押し付けただけで、目の前にいる男を理解しようなんててんで考えてない。だけどスー・チーが演じたフォンこと細鳳は、まずはセフレとしてでも、酔いどれ阿邦を大らかに受け入れる。彼女がどんな思いで、泥酔した男をわざわざタクシーに乗せ自宅に連れ込んだか、「寝たからにはあんたは私の男」と甘えたり独占欲を剥き出しにしなかったかを考えれば、同性として大いに好感が持てるんである。カレンには全く持てなかったけど。
むしろこの映画での阿邦と細鳳は「2046」のトニー・レオン演じた周慕雲とチャン・ツイィー演じたナイトクラブホステス白玲をこそ、比較対象にすべきなのだ。香港で見たときも、スー・チーが繰り返し、歌うようにつぶやく「パンヤウ朋友〜」という台詞に、阿邦の「友人の間で貸し借りは無しだ」の台詞に、あの「朋友の間の貸し借り」についての2046のシーンを連想してプッと笑わずにはいられなかったnancixも、しかしやはりテルちゃん同様、王家衛の呪縛から逃れられていないのだろうか。多分そうなんだろう。
2006年の、酔いどれと、夜の街を自立して生きようとする女(多分、若くて単純率直な彼女はそう大した過去は背負っちゃいない。家族との不和で家出とか、悪い男に騙されそうになったか、自立のために利用しようとしてしっぺ返しを食わされた程度)では、率直に互いの素顔をさらけだして、ハッピーエンディングを迎える。いささか強引で亭主関白を発揮しそうな酔いどれと、世話女房タイプだけど甘え上手でちゃっかり彼をコントロールしそうな女。
うん、神経過敏で殻に閉じこもって、捜査捜査で自分を放置して傷つけたと恨めしそうな目でばかり男を見る"自称アーティスト"よりも、酔いどれ探偵にはいい相手を見つけたんじゃないかな。阿頭と同じように「ロ的Qぉ〜(とってもキュートだなぁ)※ぉの字が日本語フォントでは出ません…」と呟かせてもらうよ。
今回、頭に残った広東語。
タパス「Scirocco」バルコニーでの、阿頭の「チャウシーモッカー」(中文字幕で漢字を確かめないと〜)
誰が言ったんだっけ、「點ロ米唔ロ米呀?」=ディムマインーマイア?「ロ甘呀點呀?」=ガムアーディムアー?(早口だとガマディマー?に聞こえる)
チャップマン・トーが言ってた「イ尓做ロ野呀? 知唔知呀?」=ネイチョーマッイェーア? チーンーチーア?=何やってんんだ?わかってんのか?
放火事件後、病院で阿頭がトラウマから来る幻想に捉われ放心状態の阿邦を気遣う「イ尓没(本当は有の二本線のないあの字)ロ野ロ阿ロ馬?」=ネイモウイェアーマー?=大丈夫か?
そして、病院外のベンチでの対話での酔っ払い阿邦の「飲飲ロ下〜…[言念][言念]ロ下〜…[言念][言念]ロ下〜又飲飲ロ下〜」(飲んでは考えてぇ、考えてはまた飲ーんでぇ〜)。
……阿邦、ロ的Qぉ〜……(はぁと)。
まだファン暦が浅く、傷だらけの男たちがファンになって初めて映画館で見た映画になりました。トニーとは20歳以上年齢差があり、友人には呆れられています(笑)
私は三宮で8日のお昼の上映を見ましたが、鑑賞者は・・・30人ぐらいだったと思います。
夫婦、カップル、男性1人、女性1人、女性2人・・・などいろんな客層、年齢層でした。トニーファンか金城くんファンか聞いて回りたい気分でした(笑)