
森達也の「放送禁止歌」が文庫になっていた。なぜかジュンク堂書店で平積みになっていたので、さっそく購入。ハードカバーは立ち読みで済ませたっけ。
nancixがこの本の元になったドキュメンタリー「放送禁止歌〜唄っているのは誰? 規制するのは誰?」を見たのは、土曜か日曜の昼下がりじゃなかったかな。
以前からTVガイド誌のちょっとしたコラムで知って、この番組に興味を惹かれていたんだけど、放送日を忘れていて、途中からしか見られなかった。なぎら健壱が出てきたのは覚えてる。
何より鮮烈だったのは、画面が真っ黒になり、タイムコードと呼ばれる白い数字だけが画面の隅に出て、岡林信康の曲がフルコース流れた終盤だ。部落出身だから恋人と引き裂かれた、手紙に書かずにはいられなかった女性の悲しみを歌い上げた曲。モチーフの結婚差別は中学の副読本で読んだのと似たストーリーで、歌詞としてはストレートで決して巧いとは思えないけど、どうしてこれを放送禁止にするのか訳がわからない。
謹厳実直な母親に「もしもワタシが在日韓国人かブラク出身のステキな男性と結婚したいって言ったら、お母さんは許す?」とからかったことがある。母親は深刻な顔をして悩み、やっと言った。「その人はとてもいい人でも…結婚したら、相手の家族とも親戚付き合いせなあかんのよね…お母さん、自信ないなあ…」
ふーん、アンタなんて結局は、いくら口先でいいこと言っててもそんなもんよね、と思春期のnancixは内心冷笑していた。
いじめを止められなかった、理不尽な連中に立ち向かうことができないほど安っぽい正義感しか持てなかったnancixに、笑う資格なんてなかったのに。
放送禁止には実は何の法規制も規範もなく、ただただ各方面からの苦情=トラブルを恐れたメディアの自己規制だったことが、次第に明らかにされる。
nancixは美輪明宏の「ヨイトマケの唄」を、ほぼフルコーラスでNHKドキュメンタリーで聞けたし、TVの深夜番組だった「桑田佳祐の音楽寅さん」で、桑田佳祐が「ヨイトマケの唄」を弾き語りで歌ったのも見た。母と息子の情愛は、台湾映画「多桑(とうさん)」の父と息子の姿に相通じるものがあります。
フォーク・デュオの「赤い鳥」はケリー・チャンが出演した神戸でのコンサートで「竹田の子守唄」を聞かせてくれた。ホントに美しい哀切な旋律の、名曲だと思う。「在所」って、自分がいまいる村や町のことだと信じきっていたし。「♪おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんと…」の五木の子守唄と双璧を成す労働歌だと思うのに。
子どもには、金で雇われている子守の屈折した思いだってちゃんと理解させるべきなのだ。自分を取り巻く誰もが善意の無害な人間ではない、みな屈託を抱えてそれでも生きていると知らせるべきなのだ。知らせないから、自分の中に負の感情、歪んだ部分を見つけて(自分は汚れて醜くなってしまった、取り返しがつかない、今後ますます醜くなるだろう、ああいやだ、自分は生きていちゃいけない存在だ)と絶望するんである。
70年代の岡林信康は、危険だけどセクシーで聡明な存在だった。「私たちの望むものは」の苦さ、今でも忘れない。
泉谷しげるらの”プロテストソング”の存在も、おぼろげに覚えている。あの頃の泉谷しげるはもっと危険で、うっかり触れたら殴り倒されそう、罵倒されそうな怖いイメージだった。世間に歯向かい、常識に異議を唱え、というか怒鳴りつけ、権威をせせら笑う性根の据わった男に思え、小市民は畏怖していた。まさか、今のような存在になろうとは。
頭脳警察については…すいません、田舎の子どもは名前を聞いたことがある程度で、イメージ湧きません。1975年に解散だもんなあ。
エッチな曲もいろいろあった。青江美奈の「アー…ン、アー…ン」と溜息が入る曲も、子ども心にドキドキしたのに、紅白歌合戦で彼女がそれ歌ってた記憶があるぞ。それに比べれば若き日の北島三郎の「キュキュキュキュー」なんか、どうってことないのになあ。
タブーを破るから素晴らしい、いいものになるわけじゃない。万が一レイプを賞賛する、あるいはレイプに女はみんな感じちゃうのみたいな歌が流行ったら、不愉快極まりないだろうと思う。どこにも抗議はしない、創り手を軽蔑して終わりなんだけど。目立てば勝ち、とナンセンスソングを歌うなら、そんな曲は時代の気分にそぐわなくなったら、すぐに忘れ去られる宿命だ。
「要するにマニュアルや他人の判断を鵜呑みにしないで、自分自身で考えるという当たり前の事がなされていない。特にマスメディアの方々に対して、私はその思いを強く持っています」
まったくその通りだ。メディアだけでなく、我々自身も、鵜呑みにしっぱなしではいけないんだ。
メディアリテラシー(メディア解読能力)をきちんと身につけたい、自分自身の考えを持ちたいと願う。
「文庫版のためのあとがき」のラスト8行に、涙がこぼれそうになってしまった。
森達也という人は、なんてオプチミストなんだろう。「そんなワケないやろ」とシニカルになって突っ込むのは簡単。でも本当は、nancixだってそう信じたいのだ。
あえて引用しないけど、本を探して読んでください。



頭脳警察、今月の東映チャンネルで放映の『鉄砲玉の美学』の音楽を担当していますよ。
伝説の映画、伝説の音楽です。
http://www.toei.co.jp/cs/sakuhin02/04_08/0064.html
★美輪明宏のヨイトマケの歌はすごい曲だと私も思います。聞きながら号泣させられるほどの迫力に満ちています。ハングリーな時代だったからこそ、人間に歌一つで心を動かせるような中身が備わったのでしょう。
時代が違う、と一言で済ませずに、ハングリーな部分を持つためのひと工夫を教育の中に取り入れなければならないのだと思います。時代の流れに任せているだけではいけないし、かといって時代に逆行することにはどうしても無理が付きまとうでしょうから。
★私が小学校の時には、学校裏の掘っ立て小屋に住んでいる同級生がおりました。玄関の扉がわりにむしろが下がっていたのを覚えています。彼女が遊びに来ると、母が嫌な顔をしたのが子供心にたまりませんでした。
自分は子供の友人に対して公平でありたいと思うのもそのときの体験からです。
反応が切れ切れでごめんなさい。書き散らかしております・・・書きたいことが山ほど湧いてくるのですが、収拾がつかなくなるので、このへんで。
いつもいろんな問題提起を投げかけてくださってありがとうございます。「放送禁止歌」、読んで見たいと思います。
石川さゆりの「二十世紀の名曲たち(6)」の中にヨイトマケの歌が入っていますが、これがまたすごい熱唱、名演なのです。心揺さぶられます。
放送禁止歌は時代を象徴し、庶民の本当の心の奥底を表現した名曲が多いですね。
いい文章をありがとうございます。
石川さゆりの「二十世紀の名曲たち(6)」の中にヨイトマケの歌が入っていますが、これがまたすごい熱唱、名演なのです。心揺さぶられます。
放送禁止歌は時代を象徴し、庶民の本当の心の奥底を表現した名曲が多いですね。
いい文章をありがとうございます。