2007年03月17日

ETV特集「今村昌平に捧ぐ〜スコセッシが語る映像哲学」

 録画準備をしながら、たまたまNHKの土曜ドラマ「ハゲタカ」をチョイ見した。第1話導入部分で登場したプールサイドにて、無精ひげの松田龍平と、白シャツも凛々しい"ハゲタカ"大森南朋(なお)が対峙していた。松田龍平は新興IT系企業の経営者にして、外資ファンドからのTOB(株式公開買い付け)攻勢に揺れる大空電機の"ホワイトナイツ"、大森南朋は大空電機へTOBをかける寸前に、外資ファンドニューヨーク本社からあっさりと解雇された日本代表。
 TOB合戦には勝った松田龍平だが、その直後にインサイダー取引が発覚、六本木ヒルズの社内には司法の手が入り、大空電機の株は大暴落。尾羽打ち枯らした松田龍平は「ずっとあんたの背中を追ってきた…」と大森を睨み据えながら、ヤケクソかボストンバッグから取り出した札束を宙に撒き、拳銃(なんで社長が拳銃なんか持ってるのだ?)を突きつけ、しかし次の瞬間自分のこめかみに当て…というシーンだった。

 その青ざめた画面の色合い、対峙する2人の男、一方が拳銃を突きつける構図。

 うわーん、デジャブー(既視感)がnancixを襲う。

 ぬぉおおおおお! NHKまで、NHKドラマまでが「インファナル・アフェア」をぉぉぉぉ!

 うわごとを言いながら、結局はNHK教育テレビで放送されたETV特集「今村昌平に捧ぐ〜スコセッシが語る映像哲学」を録画しつつ最後まで見てしまった。
 ……いーよなーー、アカデミー賞を獲れたらこんなにタイムリーに特集番組がNHKで放送されるんだ…。
 「小林旭・渡り鳥シリーズ〜ジョン・ウーが語る映像哲学」
 「60年代東映ギャング映画〜ジョン・ウーが語る男の美学」
 なんて特集は、永遠にありそーもないもんなあ。(ジョン・ウーばっかりかいっっ)

スコセッシ対ヤン?
 …おっと、この画像は香港の雑誌サイトが掲載した、ヤンがスコセッシに銃を突きつけるおちゃらけアイコラ(^_^;)であります。

 今村昌平作品は、欲情だの欲望だのの題名を見ただけでげんなりし、オンナノコ心では(エロ&バイオレンスで、レイプシーンもあるらしいし、"いいとこのお嬢さん"が見てはいけないそら恐ろしい映画)だと思い込んでいた。いくら敬愛する緒形拳が主演でも復讐するは我にありは"人をいっぱい騙し殺した奴が、最期に死刑になる話"だし、
 「うなぎ」「赤い橋の下のぬるい水」なども、なーーんか女の描き方に反発して敬遠してきた。……もう今の年齢なら恐いもん無しかな…DVDレンタルでこっそり一人で見る分には構わないかな…。

 とにかく今村昌平作品に全く思い入れはないけれど、映画がかくも楽々と越境してしまうということはよく解った。人間関係や描かれる情緒が日本的過ぎるんじゃないかと思い込んでいた作品が、ニューヨークのリトルイタリーのカソリックの家庭で育った小柄なNY大学映画学部の大学生すら魅了してしまうということ。
 それは大陸移民の息子で香港スラム街で暴力を見聞きしながら育ち、米国キリスト教徒の援助で悪に染まらず成人できたジョン・ウーの人生行路とダブるような、ダブらないような。
 少なくともスコセッシは「日本映画の様式美をぶち壊すリアリティ志向の今村昌平」に痺れて映画撮影を続け、
 ジョン・ウーは様式美に昇華した高倉健映画やジャン・ピエール・メルヴィル作品に魅せられて「男の友情、やましいものは何もない!…けどチト濃厚過ぎないか?」映画を撮り続けているのだから、方向性はまるで違うんだなあ。
 そしてnancixはジョン・ウー作品や香港男と男の愛憎映画?が好きだ。これはもうどうしようもないのだ。

 で「ディパーテッド」に関しては1月19日、六本木ヒルズ・アリーナ広場でのジャパンプレミア・レッド・カーペットイベントの模様が少しと、作品の数シーンが紹介された。…インタビュー中のスコセッシは、「ディパーテッド」のことを「チャイニーズ・フィルムのリメイクだが…」と紹介し、日本語字幕では「香港映画のリメイクだが」となっていた。
 ふーーん、「モラルのグラウンド・ゼロ」ですか…。
 「9・11以後のアメリカ」に対する思い、何のためらいもなく理由もなくあっさりと人命を奪える「復讐するは我にあり」の主人公に対する自分の恐怖心。そんなものをだぶらせていたんですか…。
 だけどなあ…ラウもヤンもウォン警視も、行き当たりばったりに犯罪を働く詐欺&強盗殺人犯やシリアル・キラーじゃないんだけどなあ。法律も司法もいったいどう考えてんねん!と突っ込みたい連中ではあるけど、彼らには彼らなりのモノサシによる正義や規範があり、義憤や義侠心や良心や守りたいモノがあり、ただ生き延びんがためにがむしゃらに欲望のまま突っ走ったわけじゃないんだけどなあ。
 ま、スコセッシが語っていたのは、ウィリアム・モナハンによって脚色された後のシナリオについてなんだろうけどね。

 そして、老いたりとはいえ、いや若いときはのっぺりしてたけどシワが深く刻み込まれて陰影が出て来た分、やはり緒形拳は素敵だった♪
復讐するは我にあり 実際に殺人が行われた現場に連れて行かれ、凶行を再現させられるなんて、やわな神経の持ち主じゃ到底不可能な…(絶句)。
 俳優って俳優って、何と耐え忍ばなければならない職業であることか。
 カンヌ映画祭でトニー・レオンが最優秀男優賞を獲得するずっと前から、欧米の映画人は緒形拳の姿をスクリーンで見てきたんだよな、うん。
 ご本人に会いたいとかお話したいとか思わないけど、というかあの眼光に射すくめられてもうもう、口も利けないだろうけど。
 年輪を刻んで般若にも見えかねないあのお顔が、クシャッと少年のごとく笑み崩れるのを見るのは、本当に快感なのです。

 映画がかくも楽々と越境してしまうのなら、緒形拳とトニー・レオンがちゃんとしたヒューマンドラマチックな映画で共演することを望んではいけないだろうか?
 いや三上博史版「孔雀王」(88)じゃなくてね(^_^;) 「大地の子」の仲代達矢と上川隆也並みの共演をね…。

 なんて、勝手に夢見たりするのであった。
 
posted by nancix at 23:11| Comment(3) | TrackBack(0) | アジア以外の映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
私もこの番組見ていました。
『復讐するは我にあり』は私の地元でもロケをしていまして(つまり、実際の凶行の現場ということになりますが・・・)
そういう意味で、今見ると懐かしい感じを受ける映画ではあるわけですが、
主人公(榎津巌)の人間の空洞性は、『ディパーテッド』のコステロやコリンに通じないでもないか、などと思ったりしました。

しかし、『楢山節考』で、母親(坂本スミ子)にしがみつく拳さんのウルウル目を見て、一瞬トニーを連想してしまった自分は、ちょっと末期的かも(笑)
Posted by pekky at 2007年03月18日 11:12
『ハゲタカ』には思いっきりハマッています(笑)。
今時の民放では作れない話だし、なんといっても仕事経由だけど男たちのぶつかり合いが濃いし。

それより件のETV特集はワタシも観ていました。
そーいえば今村昌平、観たことはなかった…。
スコ氏が『ディパ』に対して暴力云々とかモラルのグラウンド云々とか言っていたのは思いっきり違和感を感じたわけで…。以前『イルマ・ヴェップ』を観た時に、劇中でジョン・ウー狂いのジャーナリストが「あの暴力描写がクールだ」とぬかしていたのを思い出し、つまりは“香港映画=暴力的”というイメージが染みついちゃっているのか?なんてつっこんだのはいうまでもないです。
Posted by もとはし at 2007年03月18日 23:42
 pekkyさん、なんと事件現場が地元とはっっ。
 どうも事件の実録モノだの再現ドラマだのには(事実と違〜う!余計に無念が募った!と被害者が怨霊になって現れそうだ…)と避けたくなるヘタレのnancixなんですが、懐かしいですか…うむむ。
 何のためらいもなくあっけなく他人の息を止められる「人間の空洞性」…特に銃を携えてるのが日常である米国人には、それも有りかもしれませんが、そんな連中の右往左往なんて見ても、時間の無駄のよーな気もするんですよねえ。

 母親にすがりつくトニー…の図は、さすがに見たことないかなあ…父親に食ってかかったり、ママを懸命にかばったりは見たけど。拳さんのうるうる目……そーか!そうかもしれない。私も末期症状です、へにゃへにゃへにゃ。

 もとはしさん、そーでしょ!そうだと思った。私は経済用語が苦手なドンブリ勘定人間なんで、1話だけ見て???でしばらく遠ざかっていたんですが、今は激しく後悔しています。再放送は見よう…。
>思いっきり違和感=私もです。しかしどうもあの話を聞いてる限り、スコセッシはモナハン氏のリメイク脚本しか読んでない、元ネタの「インファナル・アフェア」(英語字幕版)は見てないんじゃないかという気もひしひしとしてきたんですよねえ…。“香港映画=暴力的”、そして中国女は皆悪巧みに長けた目尻の吊り上がった"ドラゴン・レディー"、なんて思い込み、まだまだ消えないんでしょうねえ。
 
Posted by nancix at 2007年03月19日 00:26
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