2004年05月21日

ウォン・カーワイ王家衛監督リミックス。

 今夜のBGMは、さっきWindows Media Player9で作った自作再生リスト「王家衛リミックス」。
 ザビア・クガート楽団の「マイ・ショール」や「シボネー」、Los Indios Tabajarasの「Always In My Heart」「You Belong To My Heart」、そしてアニタ・ムイ版「ジャングル・ドラム」まで「欲望の翼」のかったるい蒸し暑さに浸り、「楽園の瑕」サウンドトラック盤("イスラム式お経風"の1曲を除く)で気合いを入れ、「ブエノスアイレス」サウンドトラックから喧しいだけのフランク・ザッパと、ヘタクソな現地ライブバージョンを抜いてまったりとし(^_^;)、トニーのささやきで陶然となって「花様年華」サウンドトラックに突入。ただしラジオ放送版中華懐メロはうるさいので抜きます。ナット・キング・コールの「キサス、キサス、キサス」だけは外せません。
 最後のさいごに「ブエノスアイレス」から、ダニー・チャン鍾定一の「Happy Together」を回して来て締めます。
 コスチュームプレイも、典雅な寸止め不倫も、男と男の苦悩も、理由なき反抗を続ける飛んでるチンピラもごっちゃになり、なかなか頭がウニウニになってよろしいもんです。(よろしいのかよ!)

サングラスの下にはちゃんとつぶらな目があります。 さて、気分は「2046」最後のリールを機内持ち込みして、やれやれと座席(ビジネスクラス?)に座ったウォン・カーワイ王家衛。いったいこの映画監督って、ナニサマ…じゃない、何者よ?と思う方も日本には多いことだろう。nancixも今まで舞台挨拶は見たしいろんな文献を集めたけど、いまいちよくわからないお人です。頭がよすぎて食えない人、って気もします。
 思えば「欲望の翼」の東京国際映画祭ヤングシネマ(笑)部門上映のとき、上映後にロビーで観客からの質問を受け付けた監督に、香港で撮影した映画館看板写真の裏にサインしてもらったけど、せっかく通訳付きの貴重な機会に、緊張のあまり「大きな同じと、と、時計が何度も出てくるのはなぜですかっ!」とつまらな過ぎる質問しかできなかったのだった。今思い出しても、自分がバカすぎる…_| ̄|○
 とにかく背の高い人でした。(チョウ・ユンファ兄貴とどっちが高いだろう?)と思った。そして、意外に声がソフトで小さかったことしか覚えてない…「私の映画では時間が大切な意味を持っているのです」とかそんな返事が帰ってきたと思うんだけど。

 で、文献をひもとき最近ネットで漁った資料をリミックスしてみると。
 1958年7月17日上海生まれ。3人兄弟の末っ子。父は船員でいつも海外にいて、後にマレーシアに行きホテル支配人になる(>この辺「欲望の翼」のアンディ)。
 父は中国文学ばかり読んでいたというから、インテリだったのだろう。そのためか、1963年=監督5歳、トニー1歳のとき、中国文化大革命寸前の不穏なムード漂う上海を逃れて、香港に移民。両親は後で兄と姉も香港に連れてくるはずが、一ヵ月後に文化大革命が勃発、中国=香港間の境が閉ざされ行き来ができなくなってしまった。姉は今でも上海に住んでいるらしい。

 母親は専業主婦だった。60年代香港では、上海人とジモティの広東人は付き合いをせず、互いにテリトリーを侵さないよう暮らしていたので、父が航海に出ると、母子はノースポイント北角の上海人コミュニティだけを頼りに、寂しい暮らしを続けた。>このへんが母子家庭の長男で頑張ってたトニーと意気投合できた秘密か…?
監督、孤独の肖像。撮影現場で饅頭を食う。
 当時の上海では、女性はまだ人民服ではなくチャイナドレスを着ていて、白熱灯の下で日がな優雅に麻雀卓を囲み、ラジオからは女性有名作家・張愛玲作品の朗読が流れ、天井で旧式の扇風機がゆっくりと廻り…まさに「花様年華」の世界だったそう。それなのに、香港では母子2人きり。広東語もまだ話せない。英国BBCのラジオ放送を聴くか、九龍半島まで出て、映画館にささやかな楽しみを求めるしかなかったそうだ。「僕は母親に映画教育を施されて、悪いことに慣れた子どもだ」と彼は自称する。母はジョン・ウェイン、エロール・フリン、クラーク・ゲーブル(出た!トニーのヒゲの謎がここにっ)が好きだったという。アラン・ドロンも好きだったというから、王ママはトニーママとも意気投合できたかもしれん。「ドロン様、お素敵よねー!!」…ヨン様とは違うか。

 当時の上海人は、他の中国から香港に移民してきた人々と同じく、香港は「一時避難の場」と考えていた。内乱が収まったら故郷に帰るんだ、と。だから生活習慣も趣味も食事も変えなかった。
 「僕の母さんはとてもきれいで善良で、『花様年華』とはまさに彼女のことだった」とマザコンの片鱗を見せる王監督である。今は亡き母が好きだった歌が、ナット・キング・コールの「キサス・キサス・キサス」などなどだった。母親の墓は上海にあり、お盆ならぬ清明節には欠かさず一家で墓参りするという。意外に常識人…。
 監督の幼児期には、近所に住むチンピラに恋した女の子がいつも監督のアパートメントの戸口に座り込んで彼を待っていた。まさに「欲望の翼」の世界である。
 兄や姉もインテリで、上海からの手紙には18世紀や19世紀のフランス、英国、ロシア文学について書いてきたという。(陳凱歌監督みたいな少年紅衛兵に脅されなかったのか〜? 下放は〜?) 兄や姉に負けじと読書に励む家衛少年だった。

 中学(中高一貫の、日本で言う高校)を卒業すると「写真の授業が面白そうだから」と香港理工学院(現在は大学)平面デザイン科に入学。ただしデッサンには興味がなかったというから、絵心はなさそう(アニメは作れそうも…)。
 「僕はBuildするんじゃない、建設するんじゃない、破壊のなかにいるんだ」。これは「恋する惑星」の編集室で話したという言葉。理工学院2年生19歳のときに、香港最大手のテレビ局TVBの演出家養成コース1期生となり、以後、大学の講義はサボりっぱなし。卒業後、一時期ジーンズショップでバイトをしていたときに、今では妻となったエスター・チャン陳以[革斤]さんと知り合う。エスターさんは、王家衛作品の多くで「出品人」としてクレジットされている人だ。nancixはてっきり男性名だと思ってましたm(__)m
 1年半、TVBで演出助手を務めて、フリーになり映画脚本を書き始める。アンディ・ラウ劉徳華が端役で出演した「彩雲曲」も、王監督のシナリオだった。他にもコメディホラーアクションにキョンシーものにポルノ、何でもこなして50本。その頃から遅筆で、1本の脚本を書くのに1年もかかり周囲がパニックになったことがあるという。(三つ子の魂百まで…)
 
 あれほど様々な恋愛模様を描いてきた監督なのに、実は大恋愛の経験など全くないそうだ。公私共にいつでもエスターさんと一緒だし、一人息子は香港国際学校に入学させ、ヒマさえあれば5万6600香港ドル〜7万7600香港ドルの学費をせっせと払っている。
 「映画監督はとても辛い。父親でいること、恋人でいること、夫でいることより辛いことがいっぱいあるんだ」と言いつつ、この男の頭の中にはきっと、まだまだいろんな映像が詰まっている。それを具現化しなければ気がすまないはず。
 もしも彼に文才があって、香港に文壇が確立していて、映画よりも文学が食える手段だったら、彼はきっと村上春樹以上の流行作家になっていたに違いない。どの作品も連作で、登場人物があっちにもこっちにも顔を出し、ホームズ&アルセーヌ・ルパン、浅見光彦と榎木孝明の夢の共演が何度も実現するような(ちょっとたとえが不適切)。……ただし遅筆で編集者泣かせで、連載を何度か打ち切られるような(爆)。

 自分の幼少期の記憶を、当代きっての人気スターを使って再現し続ける、
 それを世界の観客にわかろうがわかるまいが見せ続ける、贅沢この上ないクリエイター。
 映画を撮るだけなのに、季節ごとに異なる料理まで考え、上海出身の女性に料理を作らせ、登場人物に食べさせてしまう男。何十個も梨をトニーに食べさせ、しかもそのシーンをあっさりカットして跡形も失くしてしまう男。
 香港映画界の異端者ではみ出し者でありながら、海外では香港映画の質を保証する有名ブランドとなった男。
 それが王家衛だ。

 7年前、「花様年華」製作に際し、彼は投資者を求めてパリじゅうの映画会社を回ったが、「ブエノスアイレス」の興行の失敗(フランスでの?)と新作の簡単なシノプシスしかなかったために、ほとんど断られたのだ、と「2046」製作パートナーのフランス「パラダイス・フィルム」のエリック・ユーマンら2人の製作プロデューサーは語る。パラダイス・フィルムはマルコ・ベロッキオ監督の「肉体の悪魔」(1986)や侯孝賢監督の「ミレニアム・マンボ」(2001)にも出資したそうだ。

 誰にどんなに中傷され非難され出資を断られ降板騒ぎに巻き込まれ苦労を重ねても、自分の描いたビジョンを映像化しないではいられない男。
 、としか言いようがない、かもしれない。
 ――『花様年華』には『2046』とかかわるものがあるし、『2046』が完成したら『花様年華』と重なった部分があるのがわかるだろう。たとえば、『花様年華』の周の秘密をたどると『2046』に行き着くんだよ。
 ――1966年は何かの終わり、そして何かの始まりの年だ。
「CHINA EXPRESS〜北京〜上海〜香港〜台北」(エスクァイア マガジン ジャパン)より


 2000年に「サイト・アンド・サウンド」誌に語ったこの言葉を、王家衛は覚えているだろうか?「毎回撮影現場に新しいアイデアを持ってくるのは止めてくれ」とトニーにぼやかれた、思いつきの天才な彼だけど。

  「欲望の翼」冒頭は、1960年4月16日午後2時59分に始まる=slz1960(マギー・チャン張曼玉)。
 そしてcc1966(チャン・チェン張震)。
 何かの終わり、そして何かの始まりの数字。
 いつかどこかでマトモに質問できたら。
 「要記住的我永遠都会記着的。(覚えておくべきことは、俺は永遠に覚えているさ)」。
 「欲望の翼」のヨディの台詞を借り、サングラスの向こうで、微かに彼の目が笑うのを見られるかもしれない。
posted by nancix at 01:07 | Comment(7) | TrackBack(1) | 2046
この記事へのコメント
初めてコメントさせていただきます♪
へえぇぇー。
勉強になりました。
彼は本当に天才肌ですよね。
でも、天才だから誰も怒れない...
カンヌ映画祭も怒れない。
世界で一番強い男のひとりかも?!
しかし、彼の描く恋する女性はみんなかわいい。
どこでそんなこと習ってるんだろう?
Posted by 赤パン at 2008年05月17日 22:31
初めまして! 「王家衛リミックス」。。き、聴きたい。。。と思わず書き込んでしまいました。宜しくお願いします<(_ _)>
「欲望の翼」の音楽が好きで(ザビア・クガート楽団のCDは購入済みなので)、先ほどLos Indios Tabajaresで検索してみましたが情報が全く手に入りません。どうしたらあの曲を聴くことが出来るのか、とほほ。。

監督についてこれだけ詳しい背景を知ることが出来たのは初めてなので、とても興味深く拝読しました。正直、「好き!」という作品と「もうひとつ入り込めない。。」という作品とが混在していましたが、今更私のような感性の乏しい人間がどうのこうの言える世界ではないのだな〜となんだか自然に思えてしまいました。
難しく考えず、新作の封切を楽しみに待ちたいと思います。


Posted by メイメイ at 2008年05月17日 22:31
 メイメイさん、すいません。頭がウニウニなので、綴りを間違えたかも。
 ロス・インディオス・タバハラス
 で再検索してください。有名バンドなのでCDアルバムが入手できると思います。
 http://shop.goo.ne.jp/store/vfc/gds/00017/
 の「1.マリア・エレーナ〜ロマンチック名曲集」だけばら売りしてくれるといいのにね〜。
 
Posted by nancix at 2008年05月17日 22:31
nancix様、わざわざ教えてくださり有難うございました!
早速再検索してみましたが、やはりリンクして頂いた商品が一番良さそうだと思いました。

しかし、好貴。。。_| ̄|○

>「1.マリア・エレーナ〜ロマンチック名曲集」だけばら売りしてくれるといいのにね〜。

私も本当にそう思います。。。(で、でも買うかな、そのうち。。)
Posted by メイメイ at 2008年05月17日 22:31
nancixさん、今晩は。
「阿飛」の語源が書かれていた本はこれ(TB参照)でした。
やはり戦後の香港は戦前の上海の続きですかねぇ。
王家衛監督の次回作は上海ものですか?
監督のことですからどうなるかわかりませんが、そういう流れなんでしょうか。

…上海かぁ、いや戦前上海か。
ぼちぼちと調べていきましょうかね。
Posted by 胤雄 at 2005年05月22日 20:50
LOS INDIOS TABAJAROS

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000008BK/qid=1116829596/sr=1-2/ref=sr_1_26_2/249-4699921-5888359

↑これはいかがでしょう?
「マリア・エレナ」も入っていて、お値段も手ごろです。私も最近、チプドンさんから教えていただいて、買いました。
Posted by 多謝。 at 2005年05月23日 15:35
 多謝。さん、おお、これなら「全部入り」ですね!
 教えていただけて感謝ですー!
Posted by nancix at 2005年05月23日 17:38
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《2046》 其の55
Excerpt: 《2046》其の42のコメントの中の「阿飛」の語源については、この本(写真及び下記参照)に載っていた。【「阿飛」的世界】…原来所謂「阿飛」是源自大戦前後的上海、時代愛稱那些洋場悪少為「阿飛」、洋場悪女...
Weblog: なんだか粤っぽい 〜小心ものは地を滑る
Tracked: 2005-05-22 20:31
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