2004年04月15日

四月の死者たち。

ウェルカムホーム
 昨日、なんとなく書店に立ち寄って北村薫の文庫「朝霧」を買った。
 棚にあった、故ジャック・マイヨールの兄が書いた本「マイヨール、イルカと海へ還る」にざっと目を通した。
 ?イルカ人間?は13歳まで上海に暮らし、初めて海に潜ったのは日本でのことだったのか。
 晩年は、そんなにもひどいうつ病だったのか…。
 周囲の人間が「首吊りなんて、おまえらしくない」と引き止めれば引き止めるほど、固執したのはなぜなのか…。

 昨夜、帰宅して机周りを整理していたら、1枚のメモが出てきた。
 昨年4月か5月ごろに書いたんだと思う。ミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」のナンバー「私は私」からの引用。
 I am what I am。
 「たとえ人から何を言われても後悔しない、私の人生だから。たった一度だけの人生、自分の好きなように生きる、それが私。ありのままの私を見てほしい、それが私…」という意味の曲だった。

 レスリー・チョンの名曲「我」の歌詞の一節が「ラ・カージュ・オ・フォール」にちなんだことを知って、思わずメモしたらしい。
 今頃出てくるなんて。

 映画八月のクリスマス」が好きだった、作家の鷺沢萠さん。
 深夜に、読書家の友人からのメールで訃報を知った。そのときは心不全と聞き、Webニュースも読み、公式サイトの最近の日記に「体調が悪くて鼻水が止まらず、ルルを飲む」と書いてあったというので、一人暮らしで、衰弱した果ての心臓発作なのかと思っていた。広東語の先生が、ちょっと体調が悪いと市販の風邪薬を飲みまくりなので、心配していたところだった。
 その友人とは、学生時代に鷺沢萠さんのデビュー小説「川べりの道」(87年文學界新人賞受賞)が、吉田秋生のコミック「河よりも長くゆるやかに」(83年連載開始)のパクリかどうかで、夜通し激論したことがあったっけ。
 鷺沢さんは6月にはプロデュース公演第3弾ウェルカムホームも予定していた。
 
 血なんかつながってようがつながってなかろうが、相手を大事に思う心さえあれば、一緒に暮らしてる人と仲良くしたいのはあたり前。
 「婚姻」なんかしてなくたって、血なんかつながってなくたって、家に帰ってきたときに、こう言ってくれる人が、たぶんあなたのほんとの家族。
      「おかえりなさい」

 誰もに心をじんとさせる言葉を紡げる人が、言葉もなく一人ぼっちで逝ってしまうことないじゃん…。
 言葉の重みが、変わってしまうよ…。

 4月の死者が、また……。
 合掌。 ジャック・マイヨールは、湾に迷い込んだクジラを保護しようと追い掛け回す日本人に拳を振り上げ、叫んでいたという。
 If they are going to die, let them die!

 I am what I am、の思いのはては、自分で死に様を選ぶことに結びつくのだろうか?
 nancixには決して言えない。If they are going to die, let them die!なんて。
 神様がもういいと言うまで、呼吸を止めないで。
 神様がもういいと言うまで、息づいている自分の体を壊さないで。
 神様がもういいと言うまで、どんなにカッコ悪くてもぶざまでも醜い心持ちでも、自分自身を責めて見捨てないで。
posted by nancix at 15:44 | Comment(2) | TrackBack(1) | 日々のこと。
この記事へのコメント
 ジャック・マイヨールが自ら命を絶ったと聞いた時は驚きました。そうした知らせを聞くにつけ、「何故?」と思わずにはいられませんが、理由など本人にもはっきり説明することなどできないのかもしれませんね。たぶん何かに呼ばれて逝ってしまうのかと・・・生まれてくるのも自分の意思ではないのと同様、死ぬことも、多分それが自殺であっても、天(何と言い表したらよいかわからないのでこう表現しますが)から呼ばれるからかもしれないとこの頃思います。

 よく"木の芽時”は気持ちが不安定になる時期だと言われますが、私も数年前から4月になると「何もしたくない、外に出たくない」という日々が続きます。
 やりたいことが山ほどあって、生き生きと暮らしていたのに、突然何にもしたくなくなって目標を見失ってしまう・・・初めてそういう状態になったときは本当にショックでした。(最近はそういうものだとわかってきたから自分をコントロールできますけれど。)

 自分が元に戻るのかもわからない不安で押し潰されそうになった時、テレビで同じような症状を取り上げた番組があり、「必ず戻れます」と聞いて救われました。戻れるとわかれば死を選ばなくても済むのに・・・

 「地下鉄」を見て思いました。弱いところを持っていると他人の助けを借りざるを得ない。手を引いてもらったり、肩を貸してもらったり。普通に話せる人同士は相手のほうを見ないで会話することも可能ですが、手話で話すときはしっかり相手に向かい合わなくては通じません。
 私たちは普段、人に迷惑をかけないように暮らしていますが、元気になれないときは他人をもっとあてにするべきなのだと思います。そして人からあてにされるようでもありたいですね。長くなってすみませんでした。ぺこりん
Posted by 藍*ai at 2008年05月17日 22:32
 藍*ai さん、nancixも「人様に迷惑をかけないように、人の気持ちを考えて行動するように、誰かの役に立つ人間になれ、自立しろ、しっかりしろしゃんとしろ」と口酸っぱく言われて育ってしまいました。そう言い聞かせた本人が人間関係がうまくいかず、躁鬱に苦しんでいたんですから、世話はないんですけど…。

 だから人に手を貸す(おせっかいとも言ふ)のはごく当たり前にしようと思えるんですが、人の手を借りるのが苦手だし、弱みをみせるのが怖いです。阪神大震災の後も(被災者になってしまった!)ということにものすごーく抵抗感がありました。徒手空拳なのに人様に金を募ってやりたいことをやる、または事業を起こすというのもできない。「誰かがどうにかしてくれる」なんて思いつきもしないのでした>小人物(^_^;) すぐ(ダメだダメだ、自分はダメな人間だーーっ)と自己嫌悪に陥るし。

 でも世の中、いろんな人がいていろんな考え方があって、衝突もするけど目を開かされることもある。えっっそんなにいいかげんでもそんなにだらしなくてもそんなにはた迷惑でも生きられるのか、生かされているのかー!と感服すると、すこーし生きるのが楽になったりするのでした。いや自分の方がマシとかどっちが上下とか言うのではなく、人としての在り方にはいろいろある、ってこと自体に。
 こうあらねば生きられない、こうでなければ生きる資格がない、と自分を縛り過ぎるから、苦しいんでしょうね……。
 
 
 
Posted by nancix at 2008年05月17日 22:32
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Tracked: 2008-05-17 22:32
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