遅ればせながら、2月9日午後10時から放送されたNHKスペシャル選「日中戦争〜なぜ戦争は拡大したか」の録画してあったものを、最後まで見ました。
第61回 文化庁芸術祭テレビ部門の大賞受賞を記念しての、アンコール放送だった様子。
学芸会もどきのドラマスペシャル「李香蘭」なんて見ないわーーん。と思って一晩明けて、公式サイト見たら、ナンシー・チャンこと陳雲裳まで出てくるのかー。広州生まれ、香港で女優となり上海に移り、1942年版の「木蘭従軍」(ディズニー映画「ムーラン」でも有名な伝承文芸の映画化)に主演して一躍トップスターになり「一夜皇后」と呼ばれ、「萬世流芳」(43)で李香蘭と共演した大女優です。23歳で医師と結婚して「月兒灣灣照九州」に出演してまたまた大ヒットを飛ばし(江蘇民歌を基にした主題歌も懐メロの定番に)、主婦として母として幸せな後半生を送るのだけど…うーん、後半だけでも見ようかな…。
蒋介石、近衛内閣ぐらいは高校時代までに丸暗記したと思うけど、近現代の日本史は「あんまり大学入試に出ないから、教科書を自分で読んでおけー」と高校の教師に言われておしまい、だった気がするんですよ。
それでなくても、この2、3年の間に新しく発掘された資料や記録がかなりあるらしく。
何となく理解しているつもりになっていたアジア史認識を、かなり修正する必要があると痛感しました。
番組は、台湾で公開された蒋介石の日記、歩兵第九師団第七連隊の通信兵だった小西與三松さんの従軍日記と証言、なんと104歳になる元蒋介石侍従秘書の証言、福井県勝山市のとある村の出征兵の記録などを元に、盧溝橋事件から上海陥落、蘇州〜嘉興の制令線を西に越えての南京攻撃、1938年の"近衛声明"、蒋介石の重慶を首都に定めての徹底抗戦、国民党軍と八路軍の国共合作による粘り強い戦い、そして1941年の真珠湾攻撃+中国からの正式な宣戦布告に至るまでを追って行きます。
……記録映像での動く近衛首相は見られたけど、汪精衛らの存在には全く言及されなかったわ…_| ̄|○
でもまあ、
日本陸軍が、首脳陣が分裂して足並みが揃わない中国をなめてかかり「速攻速決」で勝てると考えていたこと、
「暴支膺懲(ぼうしようちょう=日本に逆らう中国の横暴を懲らしめる)」が、友の戦死を目の当たりにし敵愾心を募らせた日本軍兵士の合言葉となっていたこと、
一方の蒋介石は日本を「倭寇」と日記にしるしていたこと、雪恥という言葉を日々記して、日本を打ち負かす決意を固めていたこと、
日本の同盟国だったはずのドイツで、ヒットラー総統が中国への武器輸出を偽装できる限り続ける決定を下していたこと、
中国軍はドイツ軍事顧問団に訓練を受け、ドイツ経由でチェコスロバキア製軽機関銃などの立派な武装を備えていたこと、
などが解りました。
さらに、蒋介石は国際世論に訴えるべく、上海で租界の対岸に位置する四行倉庫を舞台にした攻防戦(4日間続いた)を欧米メディアに撮影させ、ブリュッセルでの国際会議で日本への経済制裁を決定させようとしたこと(立派なメディア操作ですな…米国留学していた宋美玲夫人の助けもあったのかしらん)、
ソ連の参戦をうながし、南京陥落寸前にソ連からの「派兵はしてもよいが、最高会議にかけて決定するのは遅くとも2ヵ月後」なんつー悠長な返信を受けて落胆、さっさと脱出したこと、
南京の中国軍司令官も脱出し、取り残された中国軍の兵士らは大混乱に陥り、軍服を脱ぎ兵器を捨てて便衣=民間人の衣服に着替えて逃れようとしたこと、
却ってそれが日本軍の敗残兵狩りを煽り立て、民間人か敗残兵かを見分ける余裕もなく「青壮年の男性を逮捕監禁せよ」という命令に化け、いつしか城内掃討へとエスカレートしていったこと、なども少しは理解できました。
「宣戦布告無き戦争=事変」であり戦争ではないと日本が強弁していたために、戦時に於いての捕虜の取り扱いなどを決めた国際法規を当てはめられなかった、という大日本帝国軍の言い訳もね。
しかし、中国人からしたら、明らかに国土を奪い民衆を殺す侵略戦争じゃないか…。
昔、阪神間を外回りしていたとき、各地の図書館の郷土資料コーナーでいろんな資料を読んだけど、大日本婦人会などが「南京陥落」を祝って提灯行列して浮かれていた、という記述を何度読んだことか…。
親に提灯行列の話を聞かされても、当時の中国首都も北京だと勘違いし、(中国の一地方都市が日本のものになったからって、なんで?)などとアホな疑問を抱いたのは、大昔の子供時代の記憶です。
もちろん、この番組は歴史の一断面を描いただけで、省かれた事も多くて、史実については多角的な見方をしないといけないのは、百も承知。
実をいうと、nancixの亡き母は1937年11月生まれです。もう事変が始まってたわけですね。
母方の祖父は「母が生まれた時は満州事変に出征していて、年齢がいってるので前線には出されず、尋常小学校しか卒業してないけど達筆なので、北京で書類の清書をさせられていたらしい」としか聞いてません。
しかし、満州事変…? 北支事変のことだったのか? 北京に当時、日本陸軍の本部だか支部だかがあったんだろーか? さっぱりワカリマセン。
母は祖父母にとって初めての子供で、戦争での勝利を祈って「カツ子」と名付けられ、3歳ぐらいの時にやっと祖父が生還したけど、母は"知らない男の人"を怖がってなかなかなつかなかったと、大叔父や大叔母に聞いている。
祖父と母のしっくりしない父娘関係は、阪神・淡路大震災の1週間前に祖父が肺がんで亡くなるまで、何かと暗い影を落としていたなあ…。
ただ、祖父が中国から生還しなければ、叔母・叔父が生まれることなく、祖母と母がどう戦後を生き延びられたかわからない。
小学生の頃に、九州に帰省して祖父に「中国って、どんなところだったの?」と聞いても「埃っぽくて、○ナ人は不潔で…」などと差別的なことしか言わないので、聞いても仕方ない、聞きたくないとあきらめた。
今思えば、敵国だったんだもんなあ。観光旅行じゃなくて、農家の跡取り息子がいやいや行かされた土地だもんなあ。いい印象を持てるわけがない…。
家族史のこと、もっとちゃんと聞いておけばよかったとも思うけど、口が重く怒りっぽかった祖父に、辛かったであろう軍隊時代の記憶を甦らせるのは難しかっただろうし、母だって思い違いや聞き違いもあっただろうし…。
だけど、日本にとって都合のいいように、正当化するように歴史を改ざんする動きには、要注意だよなと思うのは確かですよ。
右でも左でもないけど、昭和のひところ、戦地から帰還した爺様方が軍隊時代の自分たちの苦労&自慢話…回想録を自費出版し新聞に広告を出し、英雄気取りになったり自己正当化したりするのを傍観し、吐き気を催していた「戦争を知らない子供たち」世代の末っ子としては、つくづくそう思いますです。
2007年02月11日
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このまえ来日した蔡明亮(たしかお嫌いでしたよね?)が李香蘭のCDをよく聴くと言っていて驚きました。日本ではもうあまり聴く人はいないと思うんだけど台湾や中国の人は今でも聴くのかもしれません。そういえばここ10年ほどの香港のお正月映画で「夜来香」を歌う場面を見たこともありました。メイベル・チャンが李香蘭の映画を作ると言ってたこともありましたね。李香蘭のありかたが香港人のありかたと似ているのではないか、といっていた(うろおぼえ)記憶もありますが。
日中戦争とその後の太平洋戦争に関しては日本のありかたに色々あるんですが、ただ一言でくくれないものもありますよね。現地で戦っていた兵隊さんも帰ってから地獄を見たひとがたくさんおられるようです。
日本軍はドイツをすごく信頼していたみたいですけど、それを逆にドイツに利用されてたんですね。政府内でも英米派の吉田さんとかの意見が通らなかったみたいですよ。
汪兆銘をやりたい中国人俳優がいるのかな〜?って考えちゃいます。
http://godslounge.seesaa.net/article/22349453.html