やはり成田で撮影された画像を見て「レオさま、どーしてこんなに太ったの!」とショックを受けている子が多い。そりゃnancixだってそれを見て「ギルバート・グレイプ(93)」の、「バスケットボール・ダイアリーズ(95)」の華奢な少年がぁぁあ!と絶句したけど…。
「今回のディカプリオの新作って、香港映画が元の、リメイク作品なんだよねえ。女の子が見るにはバイオレンスが過ぎるかもよ」と控えめに皆に言ってみると「ハリウッド映画になるんですから、そりゃ元の映画よりずっとよくなってるんでしょ。香港映画じゃあ見る気しないしねえ」とあっさり無邪気に言われてしまった。
………はぁぁぁ_| ̄|○。
正体を隠してこの国にいるのが、時々辛くなります、トニーさん(遠い目)。
で、気分転換に午後の休憩時間を利用し、久々に「新聞・テレビが書かない記事」を書く週刊誌こと週刊文春を買ってみました。1月25日号です。
「雨に濡れた子犬のような瞳のトニー・レオン」とかって、白黒だけどこのオヤジ週刊誌のグラビア1ページを飾ったことも、過去にはあるんだよねえ。
すると「映画のプロ32人が選んだ2006年ワースト映画・第3回文春きいちご賞」発表…という記事があり、「LIMIT OF LOVE 海猿」「連理の枝」などを抑えて「PROMISE」(チェン・カイコー監督)ってのが17ポイントを集めて堂々の5位になっていましたですよ、noeさん!
何なに、チェン・カイコー監督が日韓から俳優を招いて撮った歴史巨編? またしてもニコラス・チェー謝霆鋒とセシリア・チョン張柏芝の香港代表ペアを無視するのか貴様らッッッッ。 それにこれは架空の世界、架空の時代を舞台にしたファンタジーであって、中国史には関係ないッッッ。
と、そっと心の中で息巻いてみる(だけ)。
「PROMISE」の試写が回りだす(試写って、回るというのか? 日本語的にどうなのよ)や、多くのきいちご審査員が「今年はこれで決まりだ!」との声を上げたといいますが、映画のプロの皆様はもう一度"一般公開"版を、金払っても見るべきだった。ドンゴン&セシの大気圏突破を省略するなど、涙ぐましい編集修正が施されていたのに、配給会社の努力を知らないで君たちはプロといいながら昼間っからタダで試写を見ておいて安易に失笑&爆笑をッッッッ……。
ま、3位の「ダ・ヴィンチ・コード」、2位「日本沈没」1位「ゲド戦記」全部見てない映画のド素人だけどさーこちとらは(腰砕け)。
そして「シネマチャート」のページでは、なんとあのジョニー・トー監督の「エレクション」が取り上げられている(関西では公開は3月予定…)。あのおすぎが、かつては「香港映画なんてビンボー臭くって、野蛮で、キラーイ!」とほざいていたおすぎが、品田雄吉(映画評論家)と同じ3つ☆をつけている!
4つ☆をつけてくれているのは、「ウインター・ソング」を辛口批評していた芝山幹郎さん(翻訳家)と斉藤綾子(作家)だけなんだけどね。
おすぎがジョニー・トーの黒社会映画を、一応見るとは、少しは、時代は変わったか、な…?
と感慨にふけっていると「こぼれ話」の欄に「角川ヘラルド映画」が3月1日から「角川映画株式会社」に社名変更するとの速報が。
そうかあ…かつては日本ヘラルド映画株式会社として「さらば、わが愛〜覇王別姫」「ブラック・マスク/黒侠」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ&アメリカ/天地風雲」「NYPD15分署」を配給し(「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズの日本語字幕問題ではネチズンと一騒動あったけども)、最近では角川ヘラルド映画として「オペレッタ狸御殿」「ウインター・ソング」を配給してくれた会社が…ついにヘラルドの看板を失うのか…としみじみ。
「この人たちのスケジュール表」には、写真家のリウ・ミセキ氏が「旅の指さしメニュー「中国で食べる」」(幻灯舎コミックス)を上梓したという記事が。中国で食べたい料理を指さすだけで注文できる指差しメニュー本だそうだ。一度書店で探してみなければ。でもこれ、北京の四川料理店に行って「ここに載ってる(広東)料理を出せ! 辛くするな!」とごねる日本人観光客なんかが増えると、問題だろうなあ…(心配のしすぎ)。
そしてあのチャウ・シンチー周星馳もゲストとして招かれ、町の居酒屋で語らったことがある「ゆうばり映画祭」が形を変えて再生するという話題も。
各映画配給会社が夕張市に感謝の気持ちを込めて20作品を提供、「ゆうばり応援映画祭」として2月22日〜25日に開催されるそうで。
「今年は大物俳優の参加は難しいものの」とあるけど、周星馳が駆けつけてくれないかな…(^_^;)
最後に、たまにしか読まないから筋がさっぱりわからないものの、上海が舞台になっているので単行本になったら読みたい大沢在昌の連載小説「魔女の盟約」より。
(前略)警察と裏社会をへだてるのは、法という名の薄っぺらい壁だ。警官は、それ以外のあらゆる職業より、裏社会の近くに立っている。「傷城」のあのひとも、出発点のあの事件のときに警察組織に、その中にのうのうと居座る腐敗した連中に見捨てられたと思った。いやむしろ自分にとっての敵として認識した。なのに父の遺志を継いでか、あえて組織に飛び込んでいった…。あまりに強すぎる正義感の理由は、法の壁の脆さを人一倍知っていて、犯罪者の欲望と自分の渇望の距離が、ほんの0.01インチしかないと解っていたからなのか…?
警官だから“お固い”と考えるのは大きなまちがいだ。法の壁がなかったら、警官と犯罪者が立つ場所のあいだにはさして距離がない。だからこそ、警察組織は、警官を見捨ててはならないことになっている。見捨てられたと思えば、警官は簡単に犯罪者に変貌する。それも、ベテランで有能な犯罪者に。(後略)
なんてことを、つらつらと考えたのでした。
何を見ても何を読んでも、まだ劉正煕がちらついてしまう…。