
そろそろヒロインにもスポットを当てましょう。
リー先生こと、催眠療法を専門とするらしき心理医生=セラピストのレイ・サムイー李心児です。
演じるは大阪に住み神戸の国際学校カネディアン・アカデミイに通っていた時期もある、ケリー・チャン陳慧琳。
いやホント、ケリー・チャン陳慧琳が銀幕デビューを飾った「仙樂飄飄」(未、95)ロケ現場を、浦川とめさんらと一緒にある情報誌の企画で見学したときは、スタッフと間違えるくらい垢抜けない、眉だけ黒々ときりりとしているスリムな女の子だったのに。デビュー当時は、声質がフェイ・ウォン王菲に似ていると、まがい物みたいに言われて可哀想でしたねえ。震災復興支援コンサートで神戸ワールドホールに来た時は、彼女を知る観客も少なくて、精一杯声援したものなのに。
それが、見る見るうちに垢抜けて、堂々中華圏を股にかけ日本でもCMやドラマに出るスターになって。テルちゃんこと暉峻創三先生が「彼女にはやる気があるのかないのか、自分のビジョンを持っているのか周囲に言われるがままなのか」と首をひねるタイプだったのに、着々と歌と演技でキャリアを積み重ねて。
「ぱーっと派手に売り出して、スターの花道をまっしぐらで、30歳前には結婚引退かなあ」なんて何となく予想していた自分の、見る目の無さを恥じるばかりでございます<(_ _)>
「インファナル・アフェア」シリーズ第1作では、何だかとってつけたような"華を添える=中国語では花瓶"役だなあ、もったいないと感じていました。サミー・チェン鄭秀文も、銀幕デビューを果たした台湾の新星、エルヴァ・シャオ蕭亞軒もいたから、ヒロイン役が分散しちゃったんですよね。
しかし第3作では、実に重要な役割を果たすことになりました。もはや彼女がいなければ、この無間地獄行きツアーは成立しなかったと言ってもいいくらい。
第3作におけるリー先生の登場シーン、よーく見てみましょう。彼女は革ジャンに黒Vネックのセーターを着ていますね。
まるでヤンが好んだファッションそのもの。

治療中は清楚な白やナチュラルカラーをまとっていた彼女が、なぜ突然革ジャン?
ヤンの警官としての身分復活に奔走した後、彼女が抜け殻のようになって、他のクライアントの治療を投げ出してまで海外で心身を休めただろうことは想像できます。親がカナダか米国で開業しているのかもしれないし、引退して悠々自適の生活をしているのかもしれない。彼女は親元に身を寄せたのかも。
でも、彼女は決して、ヤンを忘れ去ることができなかったのです。
宝塚歌劇団の男役のファンが同じようなショートカットを好むように、ビジュアル系バンドのファンが同じようなメイクとファッションでコンサートに集まるように、彼女の革ジャン姿はヤンとの自己同一化を図った証でしょうか。
それにしても、パート1でのヤンとリー先生はある程度大人の男女のやり取りだったのに、パート3ときたら。
催眠をかけられないようにするための、掛け合い漫才のような攻防戦。眉を上げて怒りまくるリー先生、バツの悪そうな、いたずらっ子そのもののヤン。
先生ってばマンガキャラクターの絆創膏を貼るし、おでこ突っつくし、まるっきりヤンチャ坊主に手を焼く保母さん状態。ああ、羨ましいぞ(思わず本音)。

キスシーンだってこの写真ではリー先生が上ですかそうですか。10歳ぐらい年長さんのトニーさんなのに、何ですかもう似合ってるなあ。Iの渋さはどこへやら、"いつものトニー"感を深めるラブコメパート、脚本家はトニー本人と知り合い過ぎて、ヤン像が大きく狂ったんじゃなかろうか。いやまあ、ラウパートの悲惨さに「これじゃあ息苦し過ぎて、客が入らん。
そもそも、香港の法務庁はなぜ、こんなに若い、しかも女性セラピストを、暴力的傾向のある犯罪者の矯正プログラムに起用したのでしょう?
ラウがパソコン本体を盗み出してまでかいま見たメディカルプログラムによれば、25歳やそこらにしては、随分と多くのクライアント(患者)を抱えていたようです。しかも調度品や内装に金のかかったセラピールーム(実はメディア・アジアの林建岳会長の執務室でロケ)。セラピストとして開業して、何年ぐらいなのでしょう? 親も精神科医で、飛び級で海外の大学を10代のうちに卒業したほどの秀才だったのでしょうかね?

催眠療法は1958年に、米国医師会によって承認された、心理学と精神医学に基づいた科学的な療法。全日催眠療法協会では「不眠、不安症、摂食障害、心身障害などの代替医療としては世界的に認知度の高い、退行催眠を主とした療法」と定義づけています。
“リラックス(くつろぎ)、集中、暗示”の三原則から成り立ち、年齢退行で過去に遡ったり、果ては過去世を思い出させたりもする。インナーチャイルドや副人格(サブパーソナリティー)を呼び出したりと、とても小説の題材にふさわしいような。でも映像化は難しいぞ。
上記の症状のほかに、様々な習慣の改善や緊張や不安・恐怖、ストレスやパニックなどの心の状態の健全化、スランプからの脱出や集中力強化、物事の上達に至るまで、適用範囲はとても広いといいます。
専門家は「決して、クライアントの意に反してクライアントを操るものではない。また、過去や前世の辛い出来事をわざわざ再体験させて今抱えている症状を悪化させたり、麻酔のように一時的に症状を感じないようにするものではない。さらに、魔法のように性格を激変させたり、スーパーマンにさせるような心霊現象や超常現象でもない」と断言します。
疲れた人、病んでいる人に暗示を与えて方向付けていくのですから、催眠療法にはセラピスト=催眠療法士の注意深さと深い「知恵」が必要なはずです。
セラピストの遵守すべき事項とは。
・職責の重要性を認識し道徳に反する業務はしてはならない。
・常に最善の研究と努力を払い、いやしくも自己の実力以上または専門以外のことを試してみてはならない。
・相談者(クライアント)の秘密は如何なる場合においても厳守しなければならない。職を退いた後においても同様である。
・催眠療法士として、相応しくない表現や発言はしてはならない。
・業務上の一切事故は、全責任を個々が有する
というわけで、リー先生は職業倫理上、決してクライアントのヤンと恋に落ちてはいけなかったし、クライアントの秘密満載のメディカルプログラムを、簡単なパスワードしかないローカルマシンに放置してはならなかったし、ラウの異変を直感したなら、経験豊富なベテランセラピストに相談しお任せして、自分が手を出すべきではなかったのです。トラウマ(心的外傷)による解離性障害は、とてもやっかいで治癒の難しい症例のはずなのだから。
一度は意気投合し"もう一人の自分"とも見込んだヤンを目の前で喪い、同じサムの仲間の部下を射殺した…この体験だけでもラウはPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥り、深い喪失感にさいなまれますです。
その上に妻の信頼を失っての、離婚調停。
それまでのエリートコースから脱落して閑職に回されたための(上司は慣らし運転のようなものだと軽く考えていたかもしれませんが、あの庶務課の孤立した環境は最悪〜左遷そのもの)適応障害……そして、決して誰にも打ち明けられない重い秘密による強迫観念。
一見、元の職場に昇進して復帰でき、意欲たっぷりに事件に取り組んでいるようで、実は心の中はズタズタのラウに、
あきらかに幻視、幻聴の症状のあるラウに、
催眠中に無意識の領域に抑圧していた記憶や感情を想起させ、悩みや症状の原因を探る催眠分析を行ったのは、決して間違ってはいないはず。
しかし、リー先生がラウの秘密を知り、受け止め、正しい「気づき」に導くには、あまりに彼女が未熟だったのではないでしょうか。
むしろ、リー先生がなまじっかな「治療」を行ったために、ラウの中の無意識領域から”善性”の人格が完全に解離し、暴走を招いたとも言えるのでは。
どんなに恐ろしい事実をラウに聞かされても、彼女は絶句してはならなかったのです。彼もクライアント。注意深く言葉をかけ、自我を取り戻せる覚醒へと誘導すべきだったのです。
そ・れ・と・も…?
リー先生が打ち明けた少女時代の過ちは、確かに一人の男の人生を破滅させてしまうものでした。
先生も決して清らかな、純粋無垢な存在ではなく、心の闇に迷い込んだ経験の持ち主だったのです。
大学時代に、彼女は友人に秘密を打ち明け、生まれ変わったように感じたと言います。
彼女がセラピストという職業を選んだのも、心から後悔し、罪の意識を抱き、惑い苦しむ人々を救いたい、治してやりたい、私はそうしなければという善意と使命感からでしょう。
だけど――。
カウンセラーやセラピストを志す人々こそが、実は自分こそが治されたいと切望する心の病を抱えていることも、よくあること。
少女時代に、自分の嘘を信じこんだ大人が自分の意のままになったという体験は、彼女に密かなる支配の欲望を植えつけなかったでしょうか?
治療という名目のもと、男たちに絶対的な信頼を寄せられ、彼らの秘密を探り出し、暗示にかけ、治すも治さないも自分がコントロールできるのは、一種の隠微な喜びではないでしょうか?
潜在意識下で、愛するヤンを死なせたくなかった、もう一度会いたいと念じ続けた彼女が、無意識のうちに催眠療法でラウに暗示をかけ、すでに自我が崩壊しかけていたラウの中の"ヤン"を呼び、完全に乖離させ別人格にしてしまう後押しをしてしまったとしたら。
ほんの一押し。
ほんの一押しで、ラウは突っ走り始めたはずです。
だとすれば、正体を知られたとショックを受けたラウに、リー先生が後頭部を殴られて気絶しても、自業自得かなー…などと。
生兵法は、怪我のもと。
リー先生は本当に、慈愛に満ちた観音菩薩だったのか?
それとも、ヤンとラウにとって、心を預けたために"運命を狂わせた女"ファム・ファタールだったのか?
清楚なケリーが演じるから、みんな何の疑いもなく観音だと信じるけど、尽きせぬ悲しみと悔いの無間地獄に、彼女も堕ちてあがいているのではないでしょうか。
「彼らは確かに何かを変えた」とシェンに言われても、失われた命は取り返しがつかない…。
ところでケリー…ハリウッドから演技の個人教師を招いてみっちり訓練したはずなのに、あの鼻水はいただけないぞ。
早撮りのアンドリュー・ラウ監督があっさりOKを出しても、女優として「もう一度やらせてください!」と毅然として頼み、鼻水を拭い涙だけ出すべきであった。
笑っていいのか泣くべきなのか、観客までひきつるのだよう。



私もいつも思うんです。「なんとかならへんかったんかぁ?」って・・・
あと2046の時もそうでしたがここを見てから映画を見るとすっごく得した気分なんですよねぇ。
また明日行ってきます!
今回は二桁目指すぞ!
リー先生が頭を押さえて起き上がるシーン、確信が持てなかったのですが、やはりラウに殴られたのでしょうか。その部屋が診察室ではなく自宅っぽい感じに見えて・・謎です。
見てはいけません。
鼻水、NGですか?
私はリアりティがあって、いいと思うけど。
「星願」の時のセシリア・チョンも鼻真っ赤に
して泣いていて、ひどく感激した覚えがあります。韓国女優じゃこれはできない、と。
身体表現(現象だったか?)に忠実なのが香港映画だ、と野崎先生もおっしゃっています。
美人は何しても美人です〜
殉職警察官の墓前でのリー先生の心境は、まさにこれでしょうね。ラウの人格が解離してしまった事をメールで知った瞬間の心持ちは、想像を絶します。
救おうとして救えず、その心の暴発が向けられ、命を落としたのはヤンの「朋友」なのですから。
彼女が口にしたこの単語(って言ってましたよね?(汗)、野崎先生の本を読んでいて良かった〜と思った事でした。
血族よりも堅い絆、それは遥か昔、彼らが警察学校で巡り合った時に実は始まっていた「縁」なんだ、と受けるシェンの台詞にも痺れました。
医師として、全ての患者を救える訳ではない。
悔いを残し、身悶える夜も数知れないでしょう。
リー先生には、どこかの裏町のヤクザな医者に会ってもらうしか(笑)
ヤンが見た「最高の夢」と、その後の心臓がドコドコ言ってるのが如実に分かる動揺したシーン、「自分がした事を覚えてないの?」といなされて慌てる表情が、もう何とも言えずステキでございました。2人の関係はあの最後の日の前日に至るまで、微妙で秘められていたんだなあと思い返すと、泣きたくなるような美しさですね。
まさに鼻から流れているから「鼻水」なのですが、
泣いているときに鼻から流れるのは、
やはり「涙」でございましょう。
(百も承知で話してるとおもいますケド)
目と鼻はつながってますから
(鼻から牛乳飲んで目から出すヒトいますけど)、
涙が大量に流れると、目から流れるだけでは
間に合わないので、鼻へ落ちてしまうのです。
というか、そういう仕組みになっている。
特に、鼻梁(つまりお鼻)が高い人は、その傾向にあるそうですけども。
洋画見ていると、ビービー泣いているのに、目ではなく、しきりに鼻を押さえるシーンがあるのは、そのためだと思われます。鼻水になっちゃうから。
リー先生もお鼻が高いので、まさに鼻水化したと思われますが、白いハンカチで押さえれば、サマになったのかも。です。