間違いなく香港映画史に残るビッグ・プロジェクトになり、香港で流行語を生み出し、社会現象に近いものを巻き起こした3部作。ハリウッドリメイク作では、たとえ「よく練られた作品」と称えられようとも、社会現象までは引き起こさないだろうけど。
実をいうと、nancixは「インファナル・アフェア」を2002年12月に香港で見たときには「うっわーーーー! あんまりやこれ! なんでトニーはこの役を引き受けたのーー! まるきり引き立て役じゃーーん」と色々と公開禁止暴言を口走り、よろよろと映画館を出てきた人間である。3泊4日の滞在で「HERO 英雄」は2回見たくせに、同行の友人に最終夜に誘われても「…悪いけど疲れた」と断って1回しか見なかった人間である。確か、トニーにもファンレターで感想を綴り「あなたが『ハード・ボイルド』と同じパターンの役柄を引き受けたのにはまったく驚いた。脚本家はなぜまたしても屋上で、上司とあなたが会話するシーンを書いたのか? あなたはこの酷似に何とも思わなかったのか?」と書いてしまったこともうっすら覚えている。来日したトニーが「潜入捜査官でも『ハード・ボイルド』と違って明るく演じたかったんだけど、とにかく緊迫した状況におかれた主人公としては…」とくどくど弁解したのは、他にもそんな声が寄せられたからだろうか。
この「インファナル・アフェア」でトニー一人が第22回香港金像奨最優秀主演男優賞、第40回台湾金馬奨最優秀主演男優賞を受賞したのも何だかいまだに納得いってない。本作の主演男優はやはりアンディじゃないのか? ヤンはラウを際立たせる引き立て役として描かれてなかったか? 日本の歴史を塗り替えたのは源頼朝であり、悲劇の死を遂げた義経ではないんだけど…みたいなものなのかしら、香港人にも判官びいきというものが存在するのだろーかと疑ったほどだ。
第一印象の悪さの理由を考えて見るに。もちろんヤンの衝撃の末○もショックだったが、しかし「HERO 英雄」でもトニー死んでるしな。ただその死に様が。
「HERO 英雄」では近松心中物語ばりの様式美の愁嘆場ありで、日本人にもフィットする心情での死だったんである。国敗れて、悟りと信念のために復讐を断念して、"英雄"の尊称も意気に感じた青年に譲り渡して、愛した女にもなじられて、生きる意味が何にもなくなっちゃった男の、ある意味、納得ずくというか。
しかし「インファナル・アフェア」では、あまりにクールで救いようのない死を、ヤンも他の登場人物も迎えてしまう。nancixは「男たちの挽歌」の熱く激しい男たちの生き様、死に様に痺れて、この"香港映画ファン"という無間道に踏み迷った人間の一人だ。美しい男が死ぬときは、意気に感じ共鳴した親友や仲間の腕の中にしっかりと抱かれ、決して即死せずにいろいろ言い残して口元からツツ…と一筋の血を流しでもして、死ぬべきなんである。そんなふうな演出を続けて誰よりも痺れさせた張本人のジョン・ウーは、登場人物にめちゃめちゃ感情移入するタイプの監督だ。「ワイルド・ブリット」でトニーが演じた「阿B」は、ジョン・ウーの幼少時代のニックネームだったという。つまり主人公は自分の分身、主人公の友人は自分自身の友人同然なのだ。彼らの間で熱い情熱が、感情がほとばしるのは、ウー監督自身がぐおーーーーーっと感情移入しての理想の描写なんである。
しかし、時代は変わった。義理と友情を重んじたティ・ロンとチョウ・ユンファが、若造の経済ヤクザ、レイ・チーホン李子雄に出し抜かれ落ちぶれたように、「インファナル・アフェア 無間道」シリーズを構築したアラン・マック麥兆輝とフェリックス・チョン莊文強はゲームのキャラクターのように登場人物を突き放して捉え、フィギュア人形のように操って物語を織り成していった。もうジョン・ウーの描くようなヒロイックさ、任侠なんか通用しないとばかりに。 「インファナル・アフェア」でのヤンは、自分をかばって死んだソー強(チャップマン・トー)を抱きしめも号泣もしなかった。止血をあきらめた後は、厭世的なまなざしを遠くに投げやって、背中に諦念をにじませて、夕日に向かって歩いていくだけ。エモーションが、カタルシスが足りなぁぁぁぁい。
nancixなら、ラウとヤンはマフィアも警察をも出し抜き、互いに死んだと見せかけて手に手を取り合って海外脱出、ハワイでも北極でもいい、笑い合って仲よく乾杯するラストを妄想しただろう。でもそんな絵空事では、アジア経済危機を潜り抜け大国・中国との駆け引きに日夜明け暮れるシビアな香港人がここまでのめりこまない。死ぬも地獄、生きるも地獄…そんな諦観とシビアな現実認識が、盗聴器やハイテク機器を駆使する男たちを動かしていく。このへんのことは、「インファナル・アフェア3 終極無間」パンフレットで野崎歓先生がちゃーんと的確に簡潔にまとめられているので、パンフレットを買ってご確認願います。
「インファナル・アフェア2 無間序曲」については、日本での意外な好評に面食らっているのが正直なところ。だって「欲望の街/古惑仔」シリーズのテイストに退化してしまっているのだ、アンドリュー・ラウ監督は。あの2週間で続編を撮り終えたという驚異の伝説のある早撮り「欲望の街」シリーズは、けれん味たっぷりの脇役の魅力で、あまり味のない主人公を支えるという作戦だった。
「無間序曲」も、若くてハンサムだけど集客能力のまだない二人よりも、ハウ役のフランシス・ンー呉鎭宇やウォン警司、サムボスの方が印象深い。それに、ハウの父に従っていた無能なボディガードの始末の仕方や、四大天王…じゃなかった、幹部4人の末路が旧来の香港犯罪映画とちっとも変わらないえげつなさ。映画ではさすがに詳細を描かなかったが、小説版によるとヤンの異母一族=ハウの家族は、ハワイであまりにも無残な死を遂げているのだ。あの幼い娘もハウの姉も、レイプされて……。そこまでするか、タイ人マフィア。だから香港映画ってやつは野蛮でエゲツなくてさー…と日本人には言われるんだろうなと覚悟していたのだ。香港の時代背景や風俗の描き方だって、やや甘いもの。
そして迎えた3作目「終極無間」。
これはねえ、あまりに意外でした。
まさか、2作続いた「警匪片」が、サイコ・スリラーにすり替わるとは思わなかったもの。
ちなみに「インファナル・アフェア」シリーズって、どうも従来日本で言われてきた香港ノワールとは少し意味合いが違う気がするんだけど。
警匪片はダニー・リー李修賢監督らが伝統を築き上げてきた一大ジャンル。警察と犯罪者の知恵比べや、警察内のドラマと犯罪をからめた作品群を指す。フィルム・ノワールからの造語である香港ノワールは、悪漢を悲劇のヒーローに祭り上げて描く作品でないといけない。警察は脇、あくまでお飾り。でも「インファナル・アフェア」シリーズは警察内のドラマも、大いなる主軸なのだ。警と匪の人間模様がドンピシャ、そろっている。
その警察内で、どんどん追い詰められていくラウ。
孤立、執着、偏執、妄想、幻聴、幻視、自己同一化……。
その症状悪化を描く映像はもはや、サイコスリラー以外の何物でもない。きしむ不協和音やノイズを多用したBGMも気味悪さを盛り上げる。
ラウが口を大きく開けて血走った目にコンタクトをはめるシーンの、背筋のぞっとすることといったら。
若いフェリックス・チョン、「レッド・ドラゴン」やレクター博士もの、サイコものに影響されたのかなと、当時香港でも公開されただろうサイコものを考えてみたけど、思いつかない。まさか邦画の「催眠」「千里眼」じゃないよね…(苦笑)。
あのパート1でラウとサムが取引し、ヤンが後を追った映画館で、ラウの席に近い席で2回目を見ながら、何度もうなったものだ。
ただし香港でいち早く見るのも考え物で、nancixが見たのは当初公開された短縮版。帰国してまもなく、あまりにわかり難いという苦情が出たのか、日本公開版とほぼ同じバージョンが公開されたそうだ。
短縮版でカットされていたシーンは、そのうち紹介します。
というわけで、トニーは帰っちゃったけど、書きたいネタはいっぱいあるんだぞー。



>帰国してまもなく、あまりにわかり難いという
>苦情が出たのか、日本公開版とほぼ同じ
>バージョンが公開されたそうだ。
やっぱり日本公開版と香港公開版とでは場面が多少違っているのでしょうか?
日本版3.5回見たけれど違いが良く判りません(・_・;)
(0.5回分は爆睡してしまいました_(._.)_ゴメンナサイ)
香港版は加長版を現地で見ましたが尖沙咀の喫茶店で無理やり貰った雑誌に
当初の公開版と加長版の違い載っていたはずなのにそれも今見当たらず...
>縮版でカットされていたシーンは、そのうち紹介します。
お待ちしております。