2006年09月02日

ヒロインの原型、鄭蘋如の生涯(2)

 今回の記事は、アン・リー李安監督がクランクインしようとしている中国語映画「色、戒」のストーリーにかなり関わってくるかもしれません。
 まっさらな頭で映画を観たいと希望する方は、この先は読まない方がいいかもしれませんよ。

 1940年代上海を舞台に起こった歴史的事件、張愛玲による小説「色、戒」、そして映画の違いをはっきりと知っておきたい、比較して楽しみたいと思う方は、この先をどうぞ。

 撮影前に毎日2、3時間、南方訛りの中国標準語(しかも40年代上海で用いられたはずの)を特訓し、当時の資料を読み、時代背景や歴史考証、風俗、人々の考え方についてアン・リーやスタッフのレクチャーを受けているはずのトニー・レオン梁朝偉は、当然目を通しているはずの資料ですけどね。

「色、戒」ヒロインに扮した湯唯
 ちなみに、これが「色、戒」ヒロインに扮した新進女優、湯唯。
 鄭蘋如とは…似ても似つかないかな??
 1939年12月21日、すでに暗殺計画の全貌を掴んでいた丁黙邨は、滬西の友人宅での昼食に鄭蘋如を電話で誘っていました。何も知らない彼女は丁に付き従い、食後にシベリア毛皮店前に車で向かいます。彼女は突然「今日は寒いわ。今夜のパーティーに出席するための、毛皮のコートを買いたい」とねだり、二人は車を下り店に入りました。鄭蘋如が1着のロングコートを選び、鏡の前で試着します。丁がコートのポケットから札束を出そうとしたそのとき、丁はガラス越しに不審な人物を見ました。彼はとっさに煙草(葉巻か?)の火を点けてくわえ「君は自分で選べ、私は先に行く」と言い置いて、1巻きの紙幣を取り出して床にばらまき、猛然と外に駆け出したのでした。鄭蘋如は驚愕しましたが、2歩後を追ったところで失敗を悟って立ちすくみました。
 このとき、外で様子をうかがっていた軍統の狙撃者は、まさか丁が突然飛び出して来るとは思わず、一瞬躊躇してしまいました。必死に駆けて来る丁に気づいた運転手は銃を取り出し、主人がくわえた煙草にまだ火がついたままの間に防弾ガラスに守られた車内に駆け込むや、すかさず周囲に銃撃を始めていました。銃声の響き渡るなか、車は猛スピードで店の前を離れ、丁はジェスフィールド76号の特工総部内に命からがら逃げ戻ったのでした。

 丁黙邨暗殺が失敗に終わっても、鄭蘋如は逃げることを考えず、勇敢にも母親の知己である日本人の滬西憲兵分隊長と共にジェスフィールド76号に自ら赴き「あれは不幸な事故だったことを説明したい」と言い張り、丁との面会を求めます。そのとき、彼女の懐には、一丁の拳銃がありました。
 しかし応対したのは丁本人ではなく、部下の林之江でした。また同行した憲兵分隊長はその場で上司からの指令書を手渡され、鄭蘋如の身柄を特工総部に引き渡すことを同意せざるを得ませんでした。鄭蘋如は林之江らに捕らえられ、ついに監禁されてしまったのでした。(このくだりは中華サイトに基づいており、「夢顔さんに〜」ではかなり異なる説明ですので、ぜひ「夢顔さんに〜」をご一読を!)

 鄭蘋如は厳しい尋問に耐え、決して重慶側の蒋介石政権下で諜報工作を専門とする「軍事委員会調査統計局(略して「軍統」)」との関係を認めませんでした。ただ丁黙邨にもてあそばれるのが女として我慢できずに、愛情のもつれから彼を殺したくなったのだと言い張りました。
 丁はどうしても、美しい自分の愛人が暗殺計画に進んで加わっていたと信じることができず、彼女を処刑する決意がつきませんでした。釈放することすら考えましたが、丁の妻である趙慧敏が林之江と密かに会い、入れ知恵をします。鄭蘋如は密かに身柄をジェスフィールド76号から「和平救国軍」第4路司令部に移されました。丁黙邨らが知らないうちの身柄移送でした。
 1940年2月(1939年12月26日という説もある)、ある星月の美しい夜に、林之江は「丁が呼んでいる」と嘘をついて、鄭蘋如を車に乗せます。車はやがて郊外の滬西(こせい)中山路傍の荒地に到着しました。鄭蘋如はそこで銃殺されてしまったのです。覚悟を決めた彼女の最後の一言は「幇幇忙,打得准一点,不要打我的頭部=さっさとやってちょうだい、一発で仕留めて。私の頭を撃つ必要はないわ」だったと言われています。享年22歳でした。

 彼女の"女間諜"としての大胆な活躍と壮烈な死は、上海で大きく報じられます。しかし中には、丁黙邨暗殺計画が失敗に終わったのは、ターゲットと男女の仲になり情に流された彼女が、シベリア毛皮店で丁黙邨にそれとなく合図を送り、命を助けたせいだと唱える者もいました。何せ、中国は共産党政権下に置かれていたわけですから、国民党・蒋介石のために働いた鄭蘋如を悪く解釈する人もいたわけで……。
 汪精衛政権の文化部高官(宣傳部政務次長?)であり、中華日報の総主筆も務めて汪精衛政権の宣伝に励んだ既婚者の胡蘭成(1906〜1981、東京で死去)と23歳で結婚、戦後「漢奸」として指名手配された彼と別れた李愛玲は、鄭蘋如が丁を助けたというその説を深く心に刻み込んだと言われます。彼女はわずか2歳上だった鄭蘋如に自分を、丁黙邨に胡蘭成を投影し、舞台に自分が住んだ香港も加え、中国人女子大生と既婚者の漢奸との愛憎に焦点を当てて1950年代に「色、戒」を書き、何度も書き直して、ついに80年代に発表したのだと言われています。この小説を読んだ当時の学者たちは、一様に鄭蘋如による丁黙邨暗殺計画を思い出し、実際の事件と虚構のあり方についてささやかな物議をかもしたと言われています。

 鄭蘋如が実際には丁黙邨をどう思っていたのか、後世の我々に推し量ることはできません。
 自分の肉体を蹂躙する憎いばかりの標的に過ぎなかったのか、性の悦びを謳歌できるセフレと割り切っていたのか、それとも愛情がわずかでも芽生えていたのか…?

 「夢顔さん〜」では、鄭蘋如が終生愛し続けたのは近衛文隆であり「祖国に平和と平穏をもたらすために役立つのなら、この身体ぐらいブタにだってくれてやります。しかし、心は別です。たとえ肉体がブタに食われつつあろうとも、わたしの心は近衛さんのものです」と、取調べの席で憲兵隊特高課長の林少佐に言い張ったと記述されています。
 ……まあ、日本人向けに書かれたノンフィクション・ノベルですしね…。

 その年の5月、汪精衛は偽の"中央政府"を、重慶に設立します。

 鄭蘋如の父、鄭英伯はずっと愛娘の保釈を求めて奔走していましたが、ついに病に倒れ、1941年に怨みを抱いたまま亡くなりました。鄭蘋如の兄の鄭海澄は1944年、日本軍との空中戦で戦死を遂げました。終生、日本の侵略に抵抗する中国人民を支持してきた母・鄭華君こと木村花子は、失意のまま国民党に従って台湾に脱出。台湾を離れることなく、1966年に80数歳の高齢で病没したそうです。

 丁黙邨が仕えた政治家、汪精衛は、健康状態が悪化し、1944年に日本で療養することになります。しかし名古屋の帝国大学病院に入院中、11月10日に病死。一説には日本人に殺されたとも、また国民党特務機関の工作員に毒殺されたとも言われているそうです。遺骸は南京の梅花山に葬られましたが、中国の人々の憎しみは消えませんでした。1946年に国民党政府により墓を破壊されたともいいます。

 鄭蘋如をまっすぐに愛した近衛文隆は、満州で二等兵として駐留中の1940年6月に、鄭蘋如の死を知らされ、衝撃と悲しみのあまり深酒に溺れます。
 しかしやっと気をとり直し、近衛家の跡継ぎとして家庭を持つことを決意、浄土真宗本願寺派の宗主の弟、大谷光明(日本国内のゴルフコース設計者としても知られる)の娘の大谷正子と結婚したのも束の間……。
 1945年の日本の敗戦によってシベリア抑留され、社会主義国家・ソ連への協力者(=スパイ)になることを拒んだために各地の監獄を転々とさせられたあげく、帰国まであとわずかという時に、謀殺されてしまうのでした…。
 
posted by nancix at 17:37 | Comment(7) | TrackBack(0) | 「色、戒」特集
この記事へのコメント
こんにちは。鄭蘋如の生涯(1)(2)をワクワクしながら読みました!
日本で出ている本だと、最期が多少違っていて
「買い物に連れていってやる」と言われて連れ出された蘋如は
車が郊外に出た時に取り乱して泣き叫び、処刑前の最後の
言葉は「顔だけは撃たないで」だった、と立ち会った日本人
(すみません、名前失念しました)が書いてましたが
諸説あるのでしょうね...。
Posted by rivarisaia at 2006年09月04日 14:27
 おお、反応いただけて幸いです!
 そうなんですよね、中国側と日本側で同じ出来事でも解釈が違うし、国民党派と共産党派でも悪く書いたり英雄っぽく書いたりいろいろですよねえ。
 日本で出ている本とは「夜想12号 上海」? しまった…以前、マニアックな某書店の「夜想」コーナーで立ち読みしたのに…。そのときは「香港じゃないからいーや」と見逃したのです。不覚なり!
 あと『上海テロ工作76号』(毎日新聞社)も探したいです。某新聞社の出版物なら、チャングムさんと化して密かに捜すんだが…。機密保持で厳しいから最近は無理っぽい…。
Posted by nancix at 2006年09月05日 11:40
実は鄭蘋如のファンだったのですが、日本では全然情報が入ってこないので、nancixさんの力作に大興奮で反応してしまいました。
「夜想12号 上海」は実家にあるので今度見てみます。
『上海摩登 (海野弘)』か『上海セピアモダン(森田靖郎)』
にも確かチラッと出ていたはず...。(でもnancixさんの記事の方が断然詳しい!)
ほんの数ページですが、『阿片王 満州の夜と霧』(佐野眞一 著 新潮社)に最期の様子が出ていて、処刑に立ち会った日本人の名前も書いてありました。『上海テロ工作76号』復刊して
ほしいですねー。図書館で昔読んだんですけど...。
Posted by rivarisaia at 2006年09月05日 20:22
ごぶさたです。

実は近衞文隆氏の孫にあたる人物と面識があってこの本も以前に読んだことがあるんですが、ノンフィクションといいつつわりとセンチメンタルというか、創作パートが多い・・・よーな気がしました。
文隆氏に関しては「近衞家の太平洋戦争」というルポルタージュの方がよりシリアスですね。こちらにも鄭蘋如のことはでてきます。
Posted by ぐり at 2006年09月07日 19:06
ごぶさたです。

実は近衞文隆氏の孫にあたる人物と面識があってこの本も以前に読んだことがあるんですが、ノンフィクションといいつつわりとセンチメンタルというか、創作パートが多い・・・よーな気がしました。
文隆氏に関しては「近衞家の太平洋戦争」というルポルタージュの方がよりシリアスですね。こちらにも鄭蘋如のことはでてきます。
Posted by ぐり at 2006年09月07日 19:06
はじめまして。
私も『夢顔〜』をよんでピンルーに興味をもち、昔調べた事があります。
おそらく皆さんが言われているのは当時上海憲兵隊特高課長だった林秀澄だと思います。
彼の証言をまとめた『林秀澄氏談話記録』という史料があり、その中で彼がピンルーについて語っています。
彼はピンルーの処刑に立ち会っています。彼の証言は、彼が確実に現場にいたであろう事を物語っています。
その『林秀澄氏談話記録』ピンルーの証言をした部分のコピーを持ってますので、書き込む事できますよ。
Posted by Joel at 2006年09月16日 18:59
始めまして、興味深く読ませてもらいました
「異国の丘」を観賞してから、「夢顔さんに〜」を読んで、近衛文隆氏について色々調べましたが、鄭蘋如とのロマンスが本当にあったのか疑問でした。このブログを読んでスッキリしました
Posted by 蛤御門 at 2006年12月31日 10:20
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのTrackBack URL
http://blog.seesaa.jp/tb/23157986
△TOPへ