2006年07月04日

東京国際ファンタ、休止……

 浦島太郎気分でネットを巡回していたら、なんと「東京国際ファンタスティック映画祭休止のお知らせ」にぶち当たった……。
 夕張市が「財政再建団体の指定申請を決めた」ニュースにも「えーーーじゃあもう、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭はできないの〜? いっぺん行って見たかったのにぃぃぃ」と叫んだぐらいで、それどころじゃない市職員の皆さんには申し訳ないばかりのマニアっぷりである。我ながら。

 東京国際ファンタスティック映画祭といえば、87年にはチョウ・ユンファ関連の香港映画をまとめて上映し、ビデオ化に結び付けてユンファ小ブームを巻き起こした業績がある。あのツイ・ハークの「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」を見い出し(ていうか、すでに第16回アボリアッツ国際ファンタスティック映画祭で審査員特別賞を受賞してたはずだけど)、オープニング上映作品として日本に紹介した業績も忘れられない。元SF・ファンタジーファンとはいえ、なんせ財布の中身に不自由な地方在住者なもんで、"チャイゴー祭り"には出遅れたが、92年の"チョウ・ユンファ来日まつり"にはどうにか間に合ったぞ。

 91年には「猫 NINE LIVES」日本版の監督として登場した、羽仁未央さんとロビーで上映後に立ち話でき、「男たちの挽歌3・夕陽の歌」に登場したベトナム少年がその後香港映画スタッフになり、「猫 NINE LIVES」には若手刑事役で顔出しもしているという興味深い逸話を聞かせていただけた。羽仁さんはその後、香港のテレビ関連のお仕事に就き、香港の中国回帰(返還)時には日本のテレビ番組で「香港の代弁者」としてよく見かけたものだが、今はどうしていらっしゃるのか。

 そして、忘れもしない92年。すでに台湾版ダビングビデオ(あっ…)で、画質の汚さをモノともせずに夢中になっていた「ハード・ボイルド 新・男たちの挽歌」がファンタで上映される! ユンファが来日する!ってんで、勇躍夜行バスに乗って東急文化会館に向かい、例の非常階段に並んだのだった。この、非常階段での同好者ハンティングや生写真・雑誌切抜き交換も楽しみの一つで、もしかすると恋の花の一つや二つも咲いたかもしれない。あいにくnancixは女性とばっかりおしゃべりしていたが。この回の階段組の一部は、なんとお手洗いに行くユンファを見られたとのことで、とってもとっても羨ましかったのだった。しかし幸い、友人たちとの連携プレイでかなり前の席を確保でき、ユンファ兄貴がコマツザワプロデューサー公認のもとで握手タイムを始めた瞬間、前に飛び出していけたのだった。が、nancixのすぐ隣の男性ファンが、何を思ったかユンファの手を強く引っ張り、ユンファ兄貴は危うくステージから転がり落ちるところだったのだった。もー、青ざめるなんてもんじゃなかったね。ショックで全身硬直したよ。ユンファ兄貴にケガでもさせたら、世界中の中華系ファンが東京に殴りこみに来るに決まってるじゃねーか! いや何より、舎弟のワタクシが一発お見舞いせずにはいられねえ!……などと。あれ以来、コンサート以外では前に飛び出したりはしていません。
 んが、この作品を境に、nancixは超人気のユンファ兄貴はユンファ兄貴として、トニー・レオンに魅了されてしまい、まだ日本ではファンが少なかった彼を定点観測することに決めたのだから、女心とはわからんもんである。

 そうそう、その時に日本人俳優の国村隼さんがステージでユンファと固い抱擁を交わしていて、国村さんのことを初めて認識したのだった。その後、あんなに国村さんが日本のテレビ・映画・舞台で活躍されるとは思ってもみずに…(面目ない)

 93年の「アンディ・ラウ4本立て」には(ワーちゃん×4で、もーおなかいっぱい)と内心思いつつ、「天長地久(劇場公開名=アンディ・ラウのスター伝説)」には「香港で見たバージョンと違ーーーう!」と驚き、知人のはからいで「電影風雲」という超有名な同人誌に鑑賞記を書かせていただいたりした。今でこそリュック・ベッソン作品や王家衛作品に鍛えられて、バージョン違いなどあったりまえのようになったが、当時はまだウブだったのよ♪

 そして1994年! 平安遷都1400年記念で京都でも「東京国際映画祭」の一部が行われ、香港で鑑賞してすっかり夢中になっていたUFO電影人製作有限公司の「いつも心の中に/搶銭夫妻」が京都で上映…されるも、鑑賞予定日は台風襲来で上映延期に。泣きの涙で夜行バスに乗って渋谷へ「月夜の願い〜新難兄難弟」他のオールナイト上映を見に行ったら、心待ちにしていたトニー・レオンもいきなり来日延期・電話での声のみ……_| ̄|○ 帰りの新幹線内で悔し泣きしたのも、今となっては懐かしい思い出である。
 結局トニーは、エリック・ツァンと共に数日後の「白髪魔女伝」上映会場で舞台挨拶したんだけどね…。我々じゃなくてレスリーファンの前で挨拶しちゃわなくても…まあ、トニーとしては、自分だけの日本人ファンなんてそうはいない、と過少評価してたんですかねえ。
 そういえばこの時の4本立てオールナイトで「青蛇転生」上映中はついに睡魔に負け、うとうとしては目が覚め、またうとうとしては目覚めてたんだけど、いつもとチウ・マンチュク趙文卓もしくはマギーが空を飛んでた気がする……。ついに根負けして、ラストは覚えておりません。この頃から、ツイ・ハークは終生成熟できないタイプの男だなあ、もー漫画と特撮マニアのまんまいくんだなあ、と達観した気がする…。

 オールナイト後に、顔見知りの男女香港映画ファンで連れ立って、マクドナルドか朝食の取れる喫茶店に行くのも楽しみの一つだった。男性ファンの感想や映画への視点は、大いに参考になった。いろいろ教えていただくばかりで、当時の皆さん本当にありがとうございます<(_ _)>
 睡眠はビジネスホテルか新幹線内で充填できたし。

 "泣きのプロデューサー"コマツザワさんのべちゃべちゃしたシャベリはあんまり好きになれなかったけど(だからって決して「おじさんどいて! アンディが撮れない!」なんて叫ばなかったよ。拍手してたよ)、彼のおかげで大阪府いずみさの市でも、香港映画を含めた国際映画祭が開かれ、ラウ・チンワン劉青雲やユン・ピョウ元彪、スー・チー舒淇が来日してくれたのだった。らうちんはほんっとーに色黒だったけど、意外に(すまん)端正なマスクだったし、肩幅のがっしりした体型もスター級だった。スー・チーちゃんはほんっとーにキュートで、あどけなくて、同性にも好感もてて、あんなにアイラインをきつく引かないでも、ナチュラルで勝負できる子だった。ねえそうだったよねS山さん? あの頃は、トニー・レオンと何度も共演することになるとは夢にも思わず…。そしていずみさの市も財政難に陥り、国際映画祭は終了してしまったのだった。
 「香港映画はもうダメ」なんて公然と映画業界人が発言し始め(オタクらが佳作を日本公開しないからじゃないのぉ!)、東京国際ファンタでも上映される中華圏作品が激減してから、仕事が多忙になったこともあって、すっかり足が遠のいてしまった。
 久々に参加した2002年のオールナイトには、もはや泣きのプロデューサーの姿はなく、舞台ではさむーーい二人組が、東京の業界人にしか受けないようなさむーーいやりとりを交わしていた。「ダブル・ビジョン」「ビッグ・ショット・フューネラル」は拾い物だったが、着信アリシリーズの元ネタになった韓国ホラー映画「Phone」には閉口。タイ映画「KILLER TATTOO」に至っては、またしても居眠りしてもしてもしても、さむーいギャグが続いていた。あれっきり、ファンタには参加していない。ダニエル・ウーの「妖夜回廊」など、興味深い作品もあったんだけどなあ。

 香港映画を語るなら、カンフーも空飛ぶギロチンもホラーも見ておかないといけないんだろうけど(金払ってまでキモチ悪い思いや怖い思いはしたくない)と言うのが終始一貫したnancixの姿勢で、香港映画を「キワモノだからスゴイ、面白い」とか「ぶっ飛んでいて支離滅裂、メチャクチャでないと香港映画じゃない」とうそぶく方々には到底ついていけず、ちょっと距離をおきたかった。だから本当のファンタスティック映画祭ファンにはなれずじまいだった。まあ、キワモノ好きな皆さんは、香港の街が清潔に・日本以上に洗練されるのに合わせて洗練されていく映画作品もさっさと見捨てて、タイ映画などに乗り換えたわけだけど。そうはいっても、チョウ・ユンファやレスリー・チョン、UFO作品をいちはやく紹介してくれたり、俳優や監督別に特集上映を組んだりしてくれたありがたさは、決して忘れられない。研究者や学芸員感覚ではなく、あくまで映画ファンとしてどんな切り口なら興味関心を持ってくれるか、あの頃のスタッフは頭を絞ってくれたんだろうと思う。

 東京国際映画祭と東京ファンタスティック国際映画祭の大手スポンサーが降り、コマツザワプロデューサーが離れ、「目ぼしい大作は撮影前から日本の大手配給会社が出資して押えているので、もうマニアックなファンタで上映する意味が無い」「弱小配給プロダクションしか宣伝のためにファンタを利用しない」とかで存在価値が問われ、まあ裏ではいろいろ事情があったんだろうな。映画ファンとしては、ただただ残念がるしかないし、あんなにおまつり気分で、同好の士ばかりが集まって大好きな俳優や作品を楽しむ場がなくなるのは悲しい。

 まあ、コマツザワさんはすっかり白髪になられたとはいえ意気軒昂に活躍しておられるようだし、いかにも「一昨年まで客席にいましたぁ」っぽい宣伝マンがサムーいパフォーマンスを演じるのも、映画評論家のひとが映画に関係ない内輪ギャグ飛ばすのも、見なくてすむといえばそれまでなんだけどね。

 一時代終わって、さあ、これからはどんな時代になるんでしょーかねえ。もはやあんなに「客席と業界が節操無く近い、客席の方が事情通かも」な時代にはならない…なっちゃいけないような気もするんだけどね。

 写真をアップするには時間切れなので、また今夜にでも。
posted by nancix at 07:22| Comment(0) | TrackBack(2) | アジア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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ぼくらが愛した「東京ファンタ」
Excerpt: 小松沢陽一と言う名の男がいる。「泣きの小松沢」と呼ばれた「東京国際ファンタスティック映画祭」を創設したプロデューサーである。  1950年 小松沢陽一は岩手県一関市の映画館の息子として生まれる。そんな...
Weblog: 徒然雑草
Tracked: 2006-07-04 12:46

ひさびさビビスー♪そして、東京ファンタの休止に思ふ…。
Excerpt: 朝イチのネットサーフィンにて、もにかるさんのblogにアップされた記事(こっちも
Weblog: funkin'for HONGKONG@blog
Tracked: 2006-07-04 19:27