特にこの、欲情から始まった周慕雲と白玲のやりとりは、身を切られるように切ない。拒否反応が出るのも致し方ありません。
二人の姿に、どうしても懐メロの「♪心も体も開きあい そこからはじまるものがある〜それを愛とは言わないけれど…」という一節を連想してしまうnancixです。
だけど、ストーリーの表層を追わずに、あるキーワードに従って交わされる男女の会話を「粋」だなあと感心してしまえるゆとりがあれば、この映画はちっとも難しくなんかないのです。
会話のキーワードとは「貸し借り」。
中国語の「借」は、借りるだけでなく貸すときにも用います。出借とは貸し出すという意味です。
男女の間で情愛の貸し借りは、成り立つのでしょうか?
キリスト教圏なら「愛の賃借関係なんてとんでもない、愛とは無償で与えるもの」なのでしょうが、そこは金銭、ひいては貸し借りにシビアな中華圏です。
周慕雲は過去を背負い、もう無邪気に他者へ自分の何かを分け与えることができない存在と化しています。
だけど彼にはまだ、茫洋とした無期限の時間が広がっていて、そのなかを目的もなく漂っていくしかありません。
何が幸福なのか、何を生き甲斐とするのか、生きる目的は何なのか。
彼自身、何度も自問自答しているのでしょうが、見えてはいない。とはいえ自死を選ぶほど絶望しきってもいない。
まだ若い白玲は、夢を両手に街=香港に出てきて、何かをつかもうと女を武器に勝負をかけている真っ最中です。情欲も充たしたいし贅沢もしたいしちやほやもされたい、でも本当は一人の男にとことん愛されたくて、乾きを潤したいのです。「欲望の翼」のミミ/ルルとほぼ同じ状態です。
そういうことをわきまえて周慕雲と白玲の会話をおさらいすると、おそらくはちゃんと見えてくるものがあるでしょう。
あーしかし、周さんの広東語口語を聞き取れるようになりたいなあ。そうしたらまた言葉のニュアンスが違ってくるかもしれません。あしからず。
(クリスマスイブに初めて2人で飲みに行き、街路を歩きながら)中国語字幕では「空」という文字が。発音がoの上に/のあるKongなら「隙間、空いているところ」の意味があり、oの上に-があるKongなら「空っぽ、虚しい」という意味がある。
周:我這個人什麼都没有、有的是時間。我總得找點事情打發時間。
周:俺という人間は、何も持っちゃいない。あるのは時間だけさ。俺も何かを探し出して暇つぶししないわけにはいかないんでね。
白:拿人家填空イ尓呀?
白:他人を使ってあなたの虚しさを埋めているの?
周:也不能這麼説。有時候、我也把自己借給人家用一下。少來這一套!がうまく訳せないよ〜。そんなの私が損するじゃない!みたいなニュアンスだと思うんだけど。
周:そうとばかりは言えないさ。時には俺も、誰かのために自分を貸して少しばかり用立てることもある。
白:那今天晩上…算イ尓借給我、還是我借給イ尓?
白:じゃあ今夜は、あなたが私に貸してくれるの? それとも私があなたに貸してあげるの?
周:随便好了。上半夜、當イ尓借給我、下半夜、就當我回借給イ尓好了。
周:お好きなように。夜の前半は君に俺を貸し、後半は俺が君に返してもらうというのがいいんじゃないか?
白:少來這一套!
白:そんなの足りないわよ!
(マカオ帰りの周を白玲が誘惑して一戦交え、ベッドに横たわって戯れる下着姿の2人。周慕雲だけが起き上がり煙草を吸い出す)周さん、ニヤニヤしてシラケ気分をごまかしながら離れて行きます。
周:我以為只有我才會獣性大發、誰知イ尓發作起來比我還凶。
付銭!(広東語ではペイ錢!)
周:俺は自分だけが獣性を大いに発揮するんだと考えていたよ。誰がおまえの発作の方が凶悪だと知っていたかな。
金払え!
白:誰叫イ尓這麼長時間不來找我?
白:誰がこんなに長い間、あなたに私を誘わせなかったのかしら?
周:我忙[ロ麻]
周:俺は忙しいのさ
白:(背中をぶって)イ尓少騙人! 根本不是這麼簡単!
白:嘘おっしゃい! そんな簡単なことじゃないでしょ
周:誰騙イ尓!
周:誰がおまえを騙すもんか
白:那天晩上的那女人是誰呀?
白:じゃあ、あの夜のあの女は誰なのさ?
周:那個女人?
周:あの女?
白:還装糊塗? 我親眼看見有個女人從イ尓房里出去! [女也]究竟是誰呀?
白:まだしらばくれる気?
私はこの目で見たわよ、あんたの部屋から女が出てくるのを! 彼女はいったい誰なのさ?
周:朋友。
周:友だち。
白:朋友?(飛び起きる) 那[女也]來イ尓房間算怎麼回事?
白:友だちィ? じゃあ彼女があんたの部屋に来たのはどういうことなの?
周:(彼女を見つめ返して)イ尓別管我的事好不好? イ尓先回去、我還有很多事要忙。
周:おまえな、俺の事は放っといてくれないか? もう戻れよ、俺はまだいろいろしなきゃいけなくて、忙しいんだよ。
白:(周の後姿に向かって)我不! 今天晩上我要睡在這兒!ここでいつも(あーあーあー、甘えるのはや〜め〜と〜け〜相手が悪すぎる)とうめきたくなるnancixです。
白:いやよ! 今夜はここで寝るの!
周:在這里過夜可不便宜。
周:ここで夜を明かすのは高くつくぜ。
白:没関係! イ尓要多少、我給イ尓多少。我要把イ尓包下來、我要イ尓天天陪著我!
白:関係ないわよ、あんたが要るだけ払うから。(しなだれかかって)私、あんたを貸し切りにしたいな。毎日私の傍にいてほしいの!
多少、は多少銭?(いくら?)の多少、なのかなあ。
広東語では幾多銭?
周:短短無所謂、長包就免了。「包」には、(妾を)囲うという意味もあります。他の者には手を出させない、包んで囲い込んでしまうということでしょうかね。広東語では「妾を囲う」のは「包二[女乃](ぱおいーない)」だもんね。通常は女が男を囲うなんて、言わないはずなんだけど。
周:短期ならかまわないが、長期貸し切りはごめんだな。
フーゾク嬢・白玲の勝ち気さ、じゃじゃ馬ぶりがうかがい知れます。手強いぞ、周さん! 男のなけなしの自由と誇りを守り抜け、周さん!
白:為什麼?してやったりと笑う周さん。可愛い女の子を泣かせたがるイジメッ子か君は。
白:何でよ?
周:(とぼけた顔で)我不喜歓。
周:俺が好きじゃないんで。
白:那我會不會是例外?
白:じゃあ私を例外にしてくれない?
周:不會
周:ダメ。
白:イ尓對所有女人都一様是[ロ巴]?[嫖]は女郎買いをすること、と辞書には書いてあります。これも当時のまっとうな正業についている女なら、口にする言葉じゃないはず…。
白:あんた、自分の女にはみんなにそうなの?
周:(飲み物を飲み干し)倒有例外的。
周:まあ例外はあるさ。
白:誰?
白:誰?
周:我媽!
周:俺のおふくろさ。
白:イ尓正經一點好不好?
白:少しはマジメにしてくれない?
周:(ニヤニヤして応えない)
白:我是不介意イ尓有其它女人。可是我不能跟[女也]們一様。不管イ尓喜不喜歓我、反正我是喜歓イ尓的!
白:あんたに他の女がいても私は気にしないわ。でも私は、彼女たちと同じようにはなれないんだから。あんたが私を愛してるかどうか知らないけど、私はあんたが好きなのよ!
うつむいて煙草を吸うだけの周慕雲。
白:我後來再也没帯、其它男人回來過。希望イ尓以後也別帯其它女人回來。能答応我[ロ馬]?
白:私は今後、他の男を連れ帰らないわ。あんたもこれからは、他の女を連れ帰らないでほしいの! 承知してくれる?
周:不能。(広東語口語では唔得!)
周:できないな。
白:好呀。我們到此為止。我不會纏著イ尓。イ尓以後也別來找我!
白:(小さくうなずき)いいわ。私たちこれまでね。あんたにつきまとえないわ。あんたも今後は私を誘わないで!
白玲、いったん出て行き、また戻る。
白:這十塊銭イ尓拿著! 今天晩上我嫖イ尓!
白:この10ドルはあんたにやるわ、今夜は私があんたを買ったのよ!
出て行きかけた白玲を、周さん腕をつかんで引っ張り戻します。おっ、とうとう堪忍袋の緒が切れたか?
周:謝[ロ拉]、以來有什麼需要…随時來找我。我照様収イ尓十塊。あの白玲の悔し紛れの台詞を繰り返す周さん。ほんっとーにヒトが悪いです。でも女が男のなけなしのプライドを傷つけようとすると、こういう報いがあるわけなんですね…気を付けよう。
周:ありがとう、これからは何か必要があれば…いつでも俺を誘ってくれ。10ドルだけでやってやるよ。
中国語の「借」には、利用する、頼るという意味もあります。
頼りたい女と、虚無と孤独を埋めるために利用したいだけの男。
ここからは(日本版DVDが出てから見ようっと)と予定されている方は、読まない方がいいネタばれ?です。でも見事にオチがついてます。(オチというか、終止符というか…) あの二人の間でやりとりされた10ドル札の束で、レストランの支払いを周さんに頼んだ白玲。
まさに二人の仲も清算です。
周さんはそれと気づいていながら、何も言わずに彼女をアパートメントまで送ります。
あちこちが寂しい緑色に塗られた、殺風景な唐楼(中国式ビル)です。女の一人暮らしにはふさわしくない。
御曹司に捨てられ?ダンサーだかホステスだかの仕事にも身が入らないだろう、白玲の落魄ぶりがうかがえます。
白:要不要進來座一下?いつものように微笑みで鎧いながらも、ここでふっと淋しい顔をするトニー、見事です!
白:入って少し座らない?
周:不要了。イ尓也早點休息。我明天來送イ尓去機場。
周:いいよ。君も早めに休みたまえ。俺が明日、空港まで送って行くから。
白:不要來。イ尓來了、我會難過的。
白:来なくていいわ。あなたが来ると、辛くなるから。
周:(歩み寄って)那イ尓自己保重。
周:じゃあ、身体を大切に
白:(歩み寄って)為什麼我們不能像以前一様?(ひたと見据えて)不要走。今天晩上留下來陪我。算我借的。
白:…なぜ私たち、以前のようになれないのかしら? 行かないで。今夜は(ここに泊まって)私に付き添って。あなたを私に貸して。
周:(下を向いたまま)イ尓還記得[ロ馬]? イ尓以前問過我…有什麼東西是我不借的。我也想了很久。現在我才知道。原來有些東西…我永遠不會借給人的。
周:まだ覚えてるかな。君は以前、俺に尋ねた…何か貸せないものが俺にはあるのかと。俺もずっとそれを考えてきたよ。今なら解ってる。本来、ある種のものは…俺は永遠に人に貸すことができないんだ。
彼女の手をぎゅっと握り、振り払って思い切りよく背を向け去って行く周慕雲。
白玲、たまらず壁に寄りかかって泣きむせびます。
女心の未練でしょう、あなた恋しい南の宿。
周:在我記憶里、那晩是我們最後一次見面。後來、我再也没見過白玲。
周:俺の記憶の中では、あの夜が俺たちの最後の逢瀬だった。その後、再び白玲と会うことはなかった。
白(回想):…為什麼我們不能像以前一様?
白(回想):…なぜ私たち、以前のようになれないのかしら?
周慕雲が、もはや永遠に人に貸せないとあきらめてしまったもの。いっときの優しさや同情や憐憫なら、彼だって無償で与えただろうけど。
それを愛とは言えないけれど。
友情なんて呼べるほど、キレイゴトで済むような男と女じゃないことなど、周さんだって薄々感じていたはずなのに。
以前のようになれるものなら、そう、彼は絶対に白玲ではなく、蘇麗珍と再会して以前のようにしたかったのです…。
男心の未練でしょう…あなた恋しい、タクシー内。
字余り。
nancixがかつてのカレシに教わって覚えた懐メロの全歌詞は、こちらで読めます。(Internet Explorerだと音楽付き・要注意)
王家衛がこの歌詞を知るはずもありませんがね(^_^;)
最初からきっちり一線を引いて、それを崩さなかったチャウ氏。バイリンに対してはある意味卑怯だったかもしれないけれど、首尾一貫したその態度は完璧です。
再会したバイリンにチャウ氏が時間の貸し借りの話を持ち出した時、しみじみと納得したものでしたが、訳し方で随分印象が変わるものですね。微妙なニュアンスを読み違えてしまいそうで怖いです。
あれから安全かみそりを目にするたびに、チャウ氏とバイリンのやり取りを思い出し、あんまりな物言いだったなあ、と思う今日この頃です。
そのシーンだけ別の人のように感じました。さめた感じの人なのに、あのシーンは違う人のようでした。
穏やかな表情を見てもドキッとしますが、強引に腕を取るのもドキッとしませんか?
>白:私は今後、他の男を連れ帰らないわ。あんたもこれからは、他の女を連れ帰らないでほしいの! 承知してくれる?
これでツィイが嫌いになったと言っても過言じゃない。ってツィイがほんとに言ってるんじゃないけど。
こんなセリフが出てくるって過去に言われたのかしら?監督・・・って思っちゃった。
それと最後のオチはすごいです。なるほど!
あ〜今日もう1度最後のスクリーン、見たかったなぁ・・・
>周:ありがとう、これからは何か必要があれば…いつでも俺を誘ってくれ。10ドルだけでやってやるよ。
以下は自分的解釈です。
このセリフは、周がわざと白玲に嫌われるように仕向けたセリフだと思えました。周は白玲に自分の事を綺麗さっぱりふっきって欲しかったのではないでしょうか。そのためだったら悪者になっても構わなかったのです。.周慕雲は、見方によっては残酷だけど...自分を偽れない誠実な優しい男だと思います。(却って自分を偽ることで白玲を傷つける結果になる可能性もありますし、何より自分が辛いでしょう)
だから、なかなか《2046》から帰ってこれないんですがね。(;^^)
「いつでも俺を〜」、ほんっとーに嫌な男!と観客に思わせる演出なんでしょうけど、あのときニヤニヤしてるだけで若い女の軽蔑と罵倒を放置する軟弱なクラゲ男じゃないですよね、トニー演じる男って。ちゃんと骨が通ってるんですよね。ここで思い知らせてやらないと、この女どんどん増長していっていつか痛い目に遭う、と見抜いてた?
RMGさん、いつもながら鋭い! 自分を悪者にすることで(周さんかなり偽悪的、自虐的な性格)、結果的に白玲に(惚れた私は悪くない、アイツが悪い! アイツのせい!)と思わせふっきれるように…そうですねえ、未練がいつまでも残ると本当に辛いもんねえ。
日本版は見てないので字幕がどうなってるのかは知りませんが、“少來這一套”は常套句というか慣用句というか、“そのテは食わないよ”“そのテには乗らないよ”といったニュアンスだと思います。