2004年11月12日

狭苦しい空間に存在する寂しさと距離感

「王家衛談文學與美学」の試訳:インタビュー◎藍祖蔚
 これはあくまで試訳です、正確ではないかも(いやきっと不正確)

 存在於窄隘空間的寂寞與疏離
 狭苦しい空間に存在する寂しさと距離感


Q(藍祖蔚):あなたは「花様年華」でとても狭く小さな空間の人間関係を描きました。しかし「2046」の空間処理にはとても大きな変化が起こっています。映画は広いスクリーンとなり、空間は明らかに大きさを増し、屋上の看板、共同使用の電話機カウンター、2046ミステリートレインの長い通路だけでなくプライベートな秘密を呟く場所もです。登場人物は手前にある壁にさえぎられ、隅に追いやられています。映画空間は明らかに大きくなったのに、圧迫感はさらに増加しています。あなたの美学ではどう(空間処理を)考慮したのですか?

A(王家衛):私たちはとても込み合った空間を用いて狭苦しい感覚を表現することも、広大な空間を用いてとても狭い感じを物語ることもできる。その種の空間によって、さらに強烈に圧迫感を感じ取ることができるだろう。そのとき人と人の距離は広がり、個人の寂しさや感覚がさらに鮮明になるのだ
 私は実は毎回、撮影のたびにあることを考えるんだ。映画のなかの主役を人物ではなく、空間にできないか?と幻想する。もしも私たちが空間を擬人化することができたなら、スクリーン上の屋上は一人の人間として想像できる。彼はWitness(目撃者)で、屋上で発生する大小の事柄を見聞きすることができるんだ。1台のカメラを屋上に備え付ければ、それが人生を見聞きし、人生を記録できる。
 「2046」の中でも、私は新たなビジュアル効果を試した。以前の映画は1.66(縦横比1:1.16が正しい)のスタンダードサイズだった。なぜなら香港の空間はこんなに狭く小さく、ラインも直線的で、スタンダードサイズがそのようなシーンの表現にふさわしかったのだ。今回はシネマスコープサイズ(1:2.35、通称シネスコ)を用いて画面を横長に変えた。すると使える画面空間は突然大きくなった。しかし実際の空間はまだ同じように狭く、そのような技術要求はビジュアル表現上で非常に突出していた。しかし撮影と現場録音は難度の高い試練だったよ。なぜならスタッフが身を隠す場所がないんだから。だから今回の撮影カメラはとても固定されており、大きくカメラを動かすことはしなかった。

Q:あなたの以前の男女の情愛はセット内の小さな部屋の中での愛欲物語でしたが、「2046」では誰もが屋上に上がっていますね。閉じられた空間から開放的な風景へと上り、屋上の空間はロケによる表現となりました。まるで一つの視覚による新世界を見せるようでした。あなたの構想はどんなものだったのですか?

A:私にはそんなはっきりした考えはなかった。とても自然な反応だったんだ。撮影現場はもともとある監獄であり、60年代香港の暴動時期に政治犯を収容した場所で、今でもそのまま残されていた。撮影時、私はその監獄の場景をホテルに改装したんだ。
 私について言えば、屋上は非常に古典的な場所だ。子供の頃、私たちはいつも屋上で遊び、屋上でいろんなことを話し、あるいは逃げ出した。しかし現在では屋上の空間と概念はもう消失してしまったようだ。
 「花様年華」のトニー・レオンには家があり、一切の活動は家の中の範疇で進行した。「2046」では彼の活動はホテル内が中心だ。ホテルは公衆の場であり、個人のプライベートな空間を探し出すのは難しい。屋上なら最も都合がいい、屋上なら彼らのプライベート・スペースにできるんだ。
 繚繞在天台上的音楽與情緒
 屋上にまつわる音楽と情緒


Q:屋上の空間の運用についてですが、毎回屋上のシーンになると、あなたはいつもイタリアの有名歌劇作曲家であるベリーニの代表作「ノルマ」のなかの詠嘆調の「清らかな女神よ」を用いるように観客に思わせます。前奏の音楽とソプラノの歌声は絶妙の配合です。映画研究専攻者も、あなたのこの部分の映像と音楽の処理について、あなたが劇中の人物の思いを音楽を用いて伝えていることに気づいています。今回はフィクションの世界と劇中の愛情を正確に対比させることに成功し、さらに映画の想像効果を豊富にしています。あなたはまず音楽概念から出発するのですか? または撮影後に音楽を配するのですか?

A:「2046」の本来の物語は、最後に出来上がった映画ほど複雑ではなかった。私はただ「2046」という数字を用いて3つの物語を語りたかったのだ。オペラ音楽を各話のテーマにしたかった。「ノルマ」「トスカ」「マダム・バタフライ」に分けてね。
 西洋のオペラには必ず主題があり、それは劇中に繰り返し出現する。ベリーニのオペラ「ノルマ」が語るのは「承諾」と「裏切り」に他ならない。私たちが最初に設定した「承諾」と非常に近かった。(註:「ノルマ」はローマの支配下にあったガリア地方のドルイド教巫女長であり、ローマ総督に抵抗する人民の代表であるが、彼女はローマ総督を愛し彼の子供を宿していた。彼女はガリアの人民の「承諾」に背くのだが、ローマ総督は彼女の助手である若い巫女も愛していて、ノルマは恋人の「裏切り」に直面するのだ)[参考サイト]

 しかし映画の成長と発展によって、最後にはただ「ノルマ」だけが残った。それはこのオペラの物語が、フェイ・ウォンの置かれた状況と似ていたからだ。実は、一切はまず先に音楽があって、屋上があったんだ。屋上があったから、フェイ・ウォンがそこにいた。
 私は「ノルマ」の中の「清らかな女神よ」を用いることができた。原因はとても単純な2つのことに帰納できる。屋上は舞台のようで、「2046」のどの人物の物語も舞台上で演じられる舞台劇のようであるべきなんだ。第二の原因はこうだ。「ノルマ」の開幕はその巫女が屋上に立ち、月に向かって心のうちを打ち明け、彼女の民衆と恋人のために祈るんだ。私は屋上は主人公のプライベート空間であり、その屋上は最後にはどの女優も各自の心情を映し出すものに変じると考えた。劇中の3人のヒロインは屋上に上る。そのうち、フェイ・ウォンはとても抒情的で、チャン・ツイィー章子怡は将来の見通しがつかず、ドン・ジェは明るい空で、外に飛び出して行く期待にあふれている。

Q:映画のなかには多くの数字のキーワードがあります。ある人は「2046」は政治的な映画だと考えています。なぜなら「2046」という数字は多くの人にとって意味は小さく、香港人の言う中国共産党の政治承諾により、香港が1997年以降2046年までの50年間、香港の体制を変えずに維持することを予告されたことにあるからです。その点に従って解読すると、あなたはこの映画の中に政治的なパスワードを潜ませているのでしょうか? 恋人たちの睦言以外に、政治反省的な映画として解読することはできるでしょうか?

A:私は「2046」の霊感が政治用語から来たことは否定しない。しかし私はそれを他の構想から見ている。政治だけではない、愛情なんだ。
 私はなぜ1996年にはるばるアルゼンチンまで行って「ブエノスアイレス」を撮影したのか? 私はあの時代に香港の中国回帰に対して、未来に対して飛び出したい気持ちだったことを否定しない。しかし私は政治が人生に対して与える影響はとても深遠だと考える。真の影響は今日ではなく、一時に見えるものではなく、遠く隔たった未来にやっと明らかになるものだ。当然、人々の関心は香港の中国回帰という議題にあるだろう。誰もが香港を維持し不変であることを強調することに、とても敏感に変わった。問題はそれは不可能なことにあるんだ。なぜならもしも世界に変化があれば、君も変わらないわけにはいかないんだ。遅れても、君もそれに続いて変わらざるを得ないんだよ。

 当初、私はなぜ「2046」という番号に挑む必要があったのか? なぜなら誰もが2046年前には変わらないと言うことが、とても重要だったんだ。これはとても厳粛な政治の議題だ。問題はこうだ。第一、変わる或いは変わらないという問題は我々がコントロールできるのではないということ。第二は、我々が根本的に変化を見届けることができないということだ。だから私はこの数字を用いて一つの愛情物語を語ったのだ。どの人にも言えることだが、何を「変わらない」と言えるのか? もしも私たちが同じものを愛したら、当然それが変わらないことを望むさ。あるいはすでに失ってしまったようなものなら、我々は更に、もしもそれが永遠に変わらなければいいと望むだろう!

 だから私はある場所を「2046」と名づけて創造したんだ。そこではあらゆるものが変わらない、愛情物語のなかでは、誰もが最も敏感で最も気にかける事は君が変われるかどうかだろう? 我々は愛する人の承諾に対して、再三自分は絶対変わらないと保証するんだ。しかし本当に変わらないでいられるか? 映画は恋人に変化があるかどうかから出発するんだ、とても興味深くないかい?
(続く)
posted by nancix at 02:39 | Comment(2) | TrackBack(1) | 2046
この記事へのコメント
 というわけで「初めてシネマスコープサイズにしたぞーわーいわーい、スチール写真も写真集もせっかくだから超横長にしちゃえー」という彼らの発想が、とっても微笑ましいというべきか、「おかげで本棚に入らないし保管に困るんだよ!」と怒鳴りつけるべきか、迷っています。…日本版写真集はそのへん、まったく頓着しなかったわけね。

 それと、主役を空間でなくトニーにしてくれてホントよかった。劇的ビフォーアフターじゃないんだからさ、屋上に人が来て去ってまた来て…ばかり見せられても(^_^;) 
 基本的にそんなこと考えながら撮影に臨む王家衛って、やっぱ豪華キャストそろいぶみ娯楽大作向けの映像作家じゃないんすよ。インディーズ系で、あり余る思索を思念をありったけ映像にぶちこんで「そんな意図は完成映像から全然伝わって来ないぞ、不許可!」と役所広司…じゃなかった、観客がびしばしダメ出しして鍛えるべき存在なんすよ…。

 と世界の端っこで日本人がぼやいても、中華圏には何一つ伝わらないのであった。
Posted by nancix at 2004年11月12日 04:06
 主役を空間に…そ、それは見る方が辛いかも…。
 ホテル屋上が何度も出てきたのは、ロケできそうな60年代風の街角が香港やタイに見つからないから?と思っていました。
 一度、「花様年華」で2人が雨宿りしたところが誰もいないかたちで映し出されましたよね? 思わず声をあげそうに懐かしかったです。
 今日が私の住む地域では最終上映、夜は出られないので昼の回を見てきました。さよなら、周さん…DVDでの再会を楽しみにしています…とつぶやきました。
Posted by YunYun at 2004年11月12日 21:44
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